2025年4月13日 大斎節第6主日(棕櫚の主日)
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「十字架を背負うキリスト」作者不明1510-1520年、シカゴ美術館. |
神が私たちを新しく創り変えようと、私達の罪を受けて殺され、罪を滅ぼす。この愛の物語のどこかにあなたはいて、主はあなたを見つめておられます。
中心は主イエスさま。父への従順を貫き、罪を背負われます。私たちの罪の苦しみを背負われます。
ゲッセマネの弟子たち。イエス様の祈りについていけず眠ってしまう祈りの薄っぺらさ、集中力のなさ。
ペトロ。愛する先生を三度も否定する臆病さ弱さ。彼を見つめるイエス様の哀しみ。号泣する悲しみ。
ユダ。強い王への望みが叶わないと知って抱く、憎しみと裏切り。
大祭司と長老たち。神殿と律法の恵みを分かち合わない強欲さ。自分を批判する者を亡き者にしようとする、排他性。神の子を崇めず自分を崇める、偶像礼拝。
中庭に集まった女中。ペトロに対する週刊誌のような詮索心。
見張り。イエス様を侮辱し、ののしり、目隠しをして殴る暴力性。
ピラト。イエスは無実だと知りつつ群衆のために死刑にした保身。
ヘロデ。気晴らしに奇跡を見たがっただけの不遜さ、無理解。
群衆。棕櫚の葉で大歓迎したにも関わらず、望んだ革命を起こさないと知ると「殺せ、殺せ」と叫んで死刑を求める集団心理、狂気。
悪人であるのにイエスに代わって釈放されたバラバの幸運、驚き。
願わない形で主の十字架を背負わせられた、キレネ人シモンの従順と、神の導き。
女性たち。弟子たちが見捨てても、泣きながらついていく悲しみ。
議員と兵士。十字架の主を「自分を救わないユダヤ人の王」と言う真実の言葉であざ笑う皮肉。
イエス様と共に十字架に付けられた罪びと。そこまで神の近くにいても悟らなかった愚かさ。
対して赦しを願ったもう一人の罪びと。イエス様の真実を知り、楽園を願って叶えられた喜び。
「御手に私の霊を委ねます」と委ねて死なれた主イエスさまの最期の信頼。私たちの最期は?
百人隊長。イエスさまの無実と、罪を肩代わりに死んだ正しさを見てとった悟り。未信徒の悟り。
アリマタヤのヨセフと、ガリラヤから来た婦人たち。イエス様の遺体を丁重に葬ったの、絶望と希望。
祈りによって物語に入り、私たちの罪を受けて私たちを創り変えようとされている、イエスさまの生き様、神の愛に触れましょう。