2025年4月27日 復活節第2主日
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The Risen Jesus Appears to His Disciples. 1476. Codex of Predis, Royal Library, Turin. |
教区主教不在で教区はこれからどうなるのか。少子高齢化でこの教会はどうなるのか。また、個人的にもこれからの人生はどうなるのか。不安が不安を呼び、主イエスさまを忘れるとき、私たちは自分自身を否定してしまいます。これではダメだ、と。
最初のクリスチャンたちは命の不安がありました。師匠を殺したユダヤ人たちが自分たちの命をも狙っているのです。そしてイエスさまが復活した、と聞いてもなお、恐怖と不安に囚われて、部屋に鍵をかけて閉じこもっていました。「イエスさまはいない。これから、どうなるのか。」
しかしこんなところに入っては来られないと思った復活のイエスさまが、鍵のかかった戸を通り過ぎて、不安で否定的な弟子たちの真ん中に立ったのです。そして言われました。「あなたがたに平和があるように。」「心配することはない。ほら、あなたたちの真ん中に私はいるじゃないか」と肯定されたのです。
そして癒えた手と脇腹の傷を見せられます。それは自分たちの否定的な心が受け取られ、消し去られた証拠です。だから弟子達は喜びました。否定を消し去り、愛する先生が私たちの真ん中に立って肯定してくださる。そして聖霊を吹き込み、人を肯定していく宣教へと派遣されました。
これは聖餐式の体験です。毎週その週の初めの日、新しい創造の日、イエスさまは否定的な教会の真ん中に立ち、復活の命で肯定されます。御体の赦しを見せ、主の平和を与え、聖霊を吹き込み、赦しの使命を与えられます。
教区が、教会が、個人が、自分自身に対して否定的になるとき、聖餐式のなかで復活のキリストに真ん中に立ってもらいましょう。そして聞き取りましょう。
「大丈夫。あなたたちがどれだけ否定的でも、私が真ん中に立ち、あなたたちと共に働くから。」