愚かな愛―イエスさまの生き方 「あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。」 ルカ6・29

2025/02/22

赦し 弟子

 2025年2月23日 顕現後第7主日

「敵を愛せ」の「愛敵の教え」です。あなたにとって敵とは誰でしょうか。私にとっての敵は、小さいことなのですが、自分に濡れ衣を着せた人です。その敵を「愛せ、赦せ」というこの教え、イヤです。したくないし、できるはずもありません。

 しかしこの「愛敵の教え」は先週の続きですから単純に「あなたが誰であろうとそうしなさい」という一般的な道徳ではありません。イエスさまが弟子たちに呼びかけた「もしあなたが私の弟子なら、自分について来い」という生き方への招きです。弟子と師匠の個人的な関係です。

 今回この箇所を、イエスさまご自身の生き様として読むと、目頭が熱くなるものがありました。ここには愚かなほどに愛し続けるイエスさまがいます。弟子たちに教えた愛を、苦しみながら、自ら生き切ろうとされるイエスさまがいます。

 イエスさまはご自分を憎む者に親切にし、悪口を言う者を祝福し、侮辱する者のために祈り、頬を打つものにはもう片方を向け、上着を取るものには下着をも拒まず、持ち物は奪われるがままにし、自分を愛さない人を愛し、罪人を愛し、何も当てにしないで貸し与え、恩を知らない者にも悪人にも情け深く、人を裁かずに赦し続けられました。

 そして十字架の苦しみの中で「父よ、彼らをお赦しください」と赦しを祈られたのです。

 愚かな愛、それがイエスさまの生き方でした。人の目には愚かに見える生き様で、イエスさまは神の愛を私たちに見せられました。そして私たちに呼びかけられます。私に付いて来い、と。「善いことをしなさい」ではなくて「私はこう生きる。私について来い」と。

 長い年月を経て、私は私の敵を赦そうとしています。それは相手が赦されるべきだからではありません。今でもその人は悪い人だと思っています。しかし私が赦すのは、それがイエスさまの弟子として生きる道だからです。そう呼ばれたからです。

 できるかどうかは二の次です。

せっかちに「できません」という前にイエスさまの愚かな愛を見つめましょう。世の罪を除いて赦す神の子羊を見つめましょう。私たちの愛の実践は、この与え続け、赦し続けておられるイエスさまから始まります。


このブログを検索

そのほかのメッセージ

ラベル

復活 神の愛 十字架 聖餐式 祈り 信仰 受肉 聖霊 イエス 癒し 神の国 赦し 三位一体 アッバ 変容 悔い改め キリスト クリスマス 委ねる 弱さ 恵み 救い 昇天 神の子 羊飼い 自分らしさ ぶどう園 アブラハム ゲセマネ 兄弟姉妹 出エジプト 勝利 召命 奉献 悔い改め、荒れ野 悪霊 悪魔 放蕩息子 教会 洗礼 洗礼者ヨハネ 解放 イスラエル インマヌエル ゲッセマネ マリア 創造主 受難 喜び 大祭司 奇跡 嫉妬 子ども 宣教 幸せ 弟子 忍耐 感謝 新しい創造 礼拝 神の支配 自己肯定 自由 行い 誘惑 過ぎ越し 陪餐 食卓 Being うつ かみのくに からし種 み名 み心 アダム エリヤ カナ ガリラヤ サマリア人 ザアカイ スキャンダル タラントン タリタクム パン裂き ピスティス ペテロ ペトロ マルタ メシア ヤイロ ユダ ユーカリスト ラザロ 不安 不正な管理人 主の祈り 今ここに 仕える 伝道 信頼 偶像 共感 再創造 再臨 十戒 原罪 受容 受肉、似姿 境界線 天国 奉仕 契約 婚宴 安息 審き 希望 平安 律法学者 従順 忠誠 憐れみ 懺悔 成就 戒め、山上の説教 承認欲求 招き 教会愛 最後の晩餐 栄光 楽園 権威 歴史 毒麦の譬え 洗足式 清い 灰の水曜日 無力 父、三位一体 独り子 現存 生きる意味 病い 真理 祝福 神の家 神の言葉 神化 神殿 祭司 種蒔き 絶望 聖書 肉体 苦しみ 苦難の僕 被献日 裁き 見失った羊 覚悟 親密さ 観想 記憶 試練 誓約 誠実 譬え 財産 貧しい人 貧しい人、共有、復活 賛美 賜物 賢明さ 躓き 身代金 迫害 追放 重荷 障害 静けさ 飢え 養い

自己紹介

自分の写真
大津市, 滋賀県, Japan
聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

日本聖公会京都教区 大津聖マリア教会

Wikipedia

検索結果

コメント

名前

メール *

メッセージ *

Tags

QooQ