一度献げたのなら 「両親はその子を主に 献げるために」 ルカ福音書2・22

2025/01/28

マリア 被献日 奉献

 2025年2月2日 被献日

ジョヴァンニ・ベッリーニ. Presentation at the Temple. Fondazione Querini Stampalia. ベネチア.1460-1466.

 今日は被献日にふさわしく、聖布を献げます。朝の琵琶湖のように優しく美しい刺繍です。祈りのこもったひと針ひと針に命が宿り、復活して今も生きておられる、イエスさまが現れる場となります。

聖公会では「奉献日」ではなく「被献日」と呼びます。献げる自分から、献げた自分の上に現れる神さまへと焦点が移っていきます。

マリアは聖霊によって救い主を妊娠・出産しました。だからこそ我が子の行く末を案じつつ、出エジプトでの犠牲を記念する「初子の奉献」のために神殿に参りました。

そこで待っていたシメオン翁は喜び溢れて言いました。「わたしはこの目で主の救いを見た!」 そして喜びだけではなく苦しみと痛みをも予言したのです。「あなた自身も剣で心を指し貫かれます」。

マリアは祈りを込めて我が子を神に献げ、大切に育てました。しかし彼は30歳になると「神の国運動」を始めて弟子をとったものの、3年後には裏切られて十字架刑で殺されました。マリアはシメオンの言葉を思い出しました。献げた我が子は、自分の思い描いた幸せではなく、人の苦しみを引き受けて死ぬという犠牲の初子になった・・・。一度献げたのだから、とマリアは自分の思いを捨て、神の思いを受け入れました。そして復活の命に輝く神である息子に出会ったのです。

主イエスさまも、祈りを込めてご自分を神に献げました。しかし献げた自分の命は自分に都合の良い用いられ方ではなく、十字架の上で刺し貫かれ、人々の罪を償うためでした。しかし一度献げたのだから、とゲッセマネの園で主はみ心を受け入れ、死んでいかれました。だからこそ、その生涯の上に神が働き、復活したのです。

信仰生活は聖布の奉献のようです。私たちは祈りを込めて自分を献げます。しかしその献げた自分は、神さまが自由に用いてご自分を現されます。それは、ときに思い描いた幸せではなく、「剣で心を刺し貫かれる」ような出来事のこともあります。しかし一度献げた人生です。取り下げることなく、迷いなく、神さまに使ってもらいましょう。そこに幸せがあります。主が現れます。

 献げた人生に神がご自分を現し、それを感謝する幸せ。聖歌325番です。♪み手の中で、すべては変わる感謝に、わがゆく道に、現したまえ、あなたのみ手の業を♪


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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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