2025年1月1日 主イエス命名日 (元旦礼拝)
「荒れ野の牧者礼拝堂」の壁画、ベツレヘム、イスラエル. |
あけましておめでとうございます。お正月は原点回帰のチャンスです。日常の忙しい日々に置き忘れてきた、本来の自分に帰るチャンスです。
私たちクリスチャンにとってそれは「召された使命」です。クリスチャンはただの恵みの受給者だけではなく、使命を行う人です。使命とは命令されて行う苦しい義務ではなく、恵みに対する応答であり、喜んで行う務めです。人生の目的、やりがいです。
聖餐式の感謝聖別祷でも唱えます。「感謝と賛美は私たちの務めです」正しいこと(right)です。イエスさまの人生によって、私たちは神さまと結ばれました。救われました。だから感謝と賛美は、平日は忘れてしまいがちですが、本来の私たちの姿です。原点です。感謝と賛美に満ちることが、私たちの人生の目的であり、使命です。
クリスマスの羊飼いの生活は苦しいものでした。羊を野獣や強盗から守るために野宿をし、牧草を探して土地をまたいでは嫌がられ、宗教儀式を守れないために罪人とみなされる。最下層です。ですが天使に告げられ、飼い葉桶のイエスさまに会いに来ます。そしてその存在に触れ「神をあがめ、賛美しながら帰って行った」とあります。(2:20) 賛美とは「神さま、あなたは素晴らしい」と喜ぶことです。
苦しい生活は変わらなかったでしょう。自分の内を見つめれば、賛美はなく嘆きだらけです。しかし「共にいて下さる神」が私の外に、飼い葉桶の中に確かにおられる。この救いへの賛美が全てを変えました。賛美することで、自分が変わるのです。喜びの人に。
賛美する、それは「素晴らしい」と告白することです。どんなことがあっても、どんな状態でも、神が人となって私たちと共にいてくださる救いを讃えることです。「それでも人生は素晴らしい。神さま、あなたは素晴らしい」と言うことです。
これが教会に来る私たちの使命、務め、喜びです。個人の生活で何があっても、教会に来て「いと高き所には神に栄光」と歌い、聖餐のイエスさまに確かに触れ、「素晴らしい」と賛美し、「神をあがめ、賛美しながら」生活と人間関係に帰る。そして誰も見ていないところで「苦しい。それでも私の人生は素晴らしい。あなたが共にいてくださるから」と賛美するのです。
それでも賛美できない時は十字架のイエスさまに頼りましょう。「賛美からは程遠く、神に見放されたイエスさま、どうか賛美のない私の心と共にいてください。」そしてイエスさまと共に耐えましょう。そうすれば必ず来ます。賛美の時が。
神を賛美する羊飼いと共に、賛美の一年を始めましょう。