神さまの自画像 「みかたちに似せて造られ」降誕日特祷

2024/12/27

受肉、似姿

 2024年12月29日 降誕後第1主日

 聖書の信仰では私たち人間は神さまの「かたち、似姿、イメージ」として造られ、存在し、完成されます。
 この神さまの「イメージ」は例えて言うならば、自画像のようなものです。小学生のときに描きましたが、それは時間と集中力が必要な作業で、もちろん下手な出来栄えでした。これが画家になると、細部はもちろん全体の雰囲気や、また自分の持つ性格や人格なども描き出します。そして描くたびに、その時の自分の一面が違って現れます。 
 神さまは完璧な画家です。ご自分の存在を、その愛と光と命を完全に描き出しました。それが本来の私たち、人間なのです。私たちはその本質において、神さまがご自分を表す傑作です。
 しかし私たち人間は自分が神の自画像であることを忘れ、自分の絵だと思い込み、自分を映し出すことに励みます。罪です。そして命を失い、死にます。
 この自画像を回復させようと神さまは自ら人間となり、生まれ、生活し、愛し、死に、復活して今も生きている。それが神の受肉です。イエスさまです。イエスさまこそが神の完璧な自画像であり、最高傑作であり、私たち神の自画像の原型です。
 そして聖霊によって私たちをイエス様の姿になぞらえ、新しく描きなおして下さっています。神さまはイエスさまという完璧な自画像を私たちという下絵の上に描きなおしてくださいます。私たちを受け入れ、用いてイエスさまを現します。私たち一人一人の人生と生活にイエスさまを描いて生きてくださいます。私たちが生きているのは、神さまがその自画像であるイエスさまの表現として、私たちの人生を生きるためなのです。なんという喜びでしょうか。
 例えば私がそうなのですが、真面目過ぎる性格は、やる気はあるにしても、とかく何事にも真っ直ぐ過ぎて摩擦を生み、疲弊しがちです。しかし聖霊が人をイエスさまの姿に描きなおす時、硬さは柔和にされ、冷たさは暖められ、存在は微笑みとなり、真っ直ぐすぎるエネルギーは愛に変わっていくのです。
 イエスさまが自分の人生を生きてくださるとき、私たちは最も自分らしくなります。神の自画像として輝きます。それが「神性に与かる」ということです。 
 そしてどうか悟れますように。あの人もこの人も本来は神さまの大切な自画像なのだと。


このブログを検索

そのほかのメッセージ

ラベル

復活 十字架 神の愛 聖餐式 信仰 祈り 聖霊 受肉 イエス 神の国 三位一体 癒し 赦し アッバ 悔い改め キリスト クリスマス 委ねる 恵み 救い 昇天 羊飼い 自分らしさ アブラハム ゲセマネ 兄弟姉妹 出エジプト 勝利 召命 変容 弱さ 悪霊 教会 洗礼者ヨハネ 神の子 解放 ぶどう園 インマヌエル ゲッセマネ 創造主 喜び 大祭司 奇跡 嫉妬 子ども 宣教 忍耐 悔い改め、荒れ野 悪魔 感謝 放蕩息子 洗礼 神の支配 自由 行い 過ぎ越し 陪餐 Being うつ かみのくに からし種 み名 み心 アダム イスラエル エリヤ ガリラヤ サマリア人 ザアカイ スキャンダル タラントン タリタクム パン裂き ピスティス ペテロ ペトロ マリア マルタ メシア ヤイロ ユダ ユーカリスト ラザロ 不安 不正な管理人 主の祈り 今ここに 仕える 伝道 信頼 偶像 共感 再創造 再臨 十戒 原罪 受容 受肉、似姿 受難 境界線 天国 奉仕 奉献 婚宴 安息 審き 希望 平安 幸せ 弟子 律法学者 従順 忠誠 憐れみ 懺悔 成就 戒め、山上の説教 承認欲求 招き 新しい創造 最後の晩餐 栄光 楽園 権威 歴史 毒麦の譬え 洗足式 清い 灰の水曜日 無力 父、三位一体 独り子 現存 生きる意味 病い 真理 礼拝 祝福 神の家 神の言葉 神殿 祭司 種蒔き 絶望 聖書 肉体 自己肯定 苦難の僕 裁き 見失った羊 覚悟 親密さ 観想 記憶 誓約 誘惑 誠実 譬え 財産 貧しい人 貧しい人、共有、復活 賜物 賢明さ 躓き 身代金 迫害 追放 重荷 障害 静けさ 食卓 飢え 養い

自己紹介

自分の写真
大津市, 滋賀県, Japan
聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

日本聖公会京都教区 大津聖マリア教会

Wikipedia

検索結果

コメント

名前

メール *

メッセージ *

Tags

QooQ