2024年12月29日 降誕後第1主日
聖書の信仰では私たち人間は神さまの「かたち、似姿、イメージ」として造られ、存在し、完成されます。
この神さまの「イメージ」は例えて言うならば、自画像のようなものです。小学生のときに描きましたが、それは時間と集中力が必要な作業で、もちろん下手な出来栄えでした。これが画家になると、細部はもちろん全体の雰囲気や、また自分の持つ性格や人格なども描き出します。そして描くたびに、その時の自分の一面が違って現れます。
神さまは完璧な画家です。ご自分の存在を、その愛と光と命を完全に描き出しました。それが本来の私たち、人間なのです。私たちはその本質において、神さまがご自分を表す傑作です。
しかし私たち人間は自分が神の自画像であることを忘れ、自分の絵だと思い込み、自分を映し出すことに励みます。罪です。そして命を失い、死にます。
この自画像を回復させようと神さまは自ら人間となり、生まれ、生活し、愛し、死に、復活して今も生きている。それが神の受肉です。イエスさまです。イエスさまこそが神の完璧な自画像であり、最高傑作であり、私たち神の自画像の原型です。
そして聖霊によって私たちをイエス様の姿になぞらえ、新しく描きなおして下さっています。神さまはイエスさまという完璧な自画像を私たちという下絵の上に描きなおしてくださいます。私たちを受け入れ、用いてイエスさまを現します。私たち一人一人の人生と生活にイエスさまを描いて生きてくださいます。私たちが生きているのは、神さまがその自画像であるイエスさまの表現として、私たちの人生を生きるためなのです。なんという喜びでしょうか。
例えば私がそうなのですが、真面目過ぎる性格は、やる気はあるにしても、とかく何事にも真っ直ぐ過ぎて摩擦を生み、疲弊しがちです。しかし聖霊が人をイエスさまの姿に描きなおす時、硬さは柔和にされ、冷たさは暖められ、存在は微笑みとなり、真っ直ぐすぎるエネルギーは愛に変わっていくのです。
イエスさまが自分の人生を生きてくださるとき、私たちは最も自分らしくなります。神の自画像として輝きます。それが「神性に与かる」ということです。
そしてどうか悟れますように。あの人もこの人も本来は神さまの大切な自画像なのだと。