2024年12月15日 降臨節第3主日 聖餐式
Pieter Brueghel. Sermon of John the Baptist.1605-1615. |
洗礼者ヨハネを取り囲んだ群衆もそうでした。「罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼」が欲しい。しかしその具体的な行いが分からない。だから尋ねました。「私たちはどうすればよいのですか。」今日の箇所にはこの問いが三度表れます。
洗礼者は具体的に答えました。群衆は下着と食べ物を分かち合え。徴税人は公正に徴収せよ。そして兵士は給料に満足せよ。
お金に関しての指示を実践することは厳しいことです。しかし指示を得た人々は嬉しかったのではないでしょうか。「難しい。でも具体的にやるべきことが分かった。」
そして日常生活の中で、これらの具体的な指示を実践していった人は変わっていきます。ケチで、不正で、不満足な人間から、慈しみ深く、公正で、充足した人間に変わります。神性にあずかります。
クリスマスは、子なる神が具体的な一人のユダヤ人として生まれ、父の具体的な指示が実現し始めた日です。「神の国は近づいた!」
イエスさまは具体的な指示を祈り求めました。荒れ野で、朝に晩に、徹夜で、変容の山で、最後の晩餐で、ゲッセマネで、「父よ、私はどうしたらよいのですか」と。そして命を与えるほどに弟子を愛し抜きました。その生涯が私たちへの具体的な指示であり、具体性の恵みです。私たちはその生涯を実践するイエスさまの弟子なのです。
答えは具体的なイエスさまの生き方です。だから問うのは「イエスさま、この状況で、どうすることがあなたの生き方ですか」です。
米国ではWWJD(What would Jesus do、イエスさまならどうする)という標語の入ったブレスレットがあります。以前の私は「そんなに簡単に分かるはずがない」と批判的でしたが今は違います。小さい日常の中で、復活のイエスさまと個人的な関係を結び、その生き方を少しでも真似ていくこと。それが弟子としての自分の生き方だと。
もちろん具体的な指示が与えられないことの方が多いです。しかしそれでも諦めない。行動の後から示されることもある。静かに待つ。聖書の神は具体的な指示を与えて下さる「言葉」の神です。自分が実践すべきイエスさまの生き方を。
具体的な聖書の言葉を通して語り掛ける神の声を聴きましょう。「祈り求めなさい。具体的に何をすればよいか、必ず私が示すから。」