幕屋を張ろう 「言は肉となって、私たちの間に幕屋を張られた」 ヨハネ福音書1・14

2024/12/25

受肉

 2024年12月25日 降誕日

 神が人となった。この神秘をヨハネ福音書は「幕屋を張られた」と表現します。14節私たちの間に宿られた」の原語です。

 主によって奴隷の家から導き出された古代イスラエルの民は40年荒れ野を徨いました。そのあいだ主は「幕屋」と呼ばれるテントを人間に張らせてその中で民と共に居て、導き続けてくださいました。「主の栄光が幕屋に満ちていた。」(4045) 栄光とは神の存在感、臨在の表現です。 

 この幕屋がソロモンの時代に動かない神殿となりました。「主の栄光が主の神殿に満ちた。」(王上811)以来神の民にとって神殿とは神が自分たちの王国を愛し共に居てくださることの目に見えるでした。そして天と地が重なる神殿は、神に出会い、赦され、感謝し、変えられる聖なる場所、聖所でした。

 ヨハネが宣言します。「天地を創造した言としての神」は人間となり「私たちの間に幕屋を張られた。」つまりイエスさまというお人が真の幕屋なのです。イエスさまという100%人間であるお人とご生涯のうちに神は幕屋を張り、神の臨在の100%が現れた。神と人は競合せず、神は人を完成させます。私たちは「その栄光を見た」。(114)

 その栄光とは、神に忠実に、十字架上で自らを与えた愛です。神さまの幕屋である人間イエスさまが、神と人を完全に愛して死んだ時、愛する存在としての人間は完成され、神の臨在が完全に現れました。復活の命が与えられました。が人間となって世に幕屋を張ると、神が人間のなかで働いて、人間は愛によって完成します。人は神の幕屋になりうるのです。

 愛に満ちた存在がその場に来れば、人間関係は明るくなり、愛が芽吹きます。私の親族でそれは母です。彼女が来て笑えば、無口になりがちな男どもも「ぱぁっ」と明るくなります。愛が芽吹きます。人は愛の幕屋になりうるのです。

 そしてイエスさまを信じてご聖体を頂く私たちも、イエスさまという神の幕屋一部になります。神が私たちの内に臨在し、内側で働き、愛人間を完成させます。

十字架の幕屋に満ちる神の栄光に満たされ、愛を知らず、希望を知らず、祈りを知らない世界と人間関係に神の幕屋を張ましょう。


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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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