清くなりたい「中から、つまり人間の心から」マルコ福音書7:21

2024/08/28

清い

 2024年9月1日聖霊降臨後第15主日(特17)

「ファリサイ派に対する審き」. James Tissot 1886-1896. Brooklyn Museum, NewYork.
 「清くなりたい」という願いは誰しもが持つものではないでしょうか。「自分は清くない」「清くなくたっていい」と諦めるのもまた、「本当は清くなりたい」という願いの反転した表れかもしれません。

 ファリサイ派は「清さ」の基準を細かい規定にしました。手や食器の清め方や、また食べて良いかどうかの食物の規定です。その規定を守る人を「清い人」「神の民」とし、守れない人を「汚(けが)れた人」としたのです。

 それに対してイエスさまは猛反発されました。食物規定のように、外から口に入るものが人を汚すのではなく、人の中から出てくるものが人を汚す、と。「中から、つまり人間の心から悪い思いが出てくる」と。外見上の行いより先に、人の内面と「心」が大切だ、と。

 ここには「清い心で生きたい」というイエスさまご自身の願いと、弟子たちにも「清い心で生きてほしい」という願いがあります。「心の清い人は神を見る。」(マタイ5:8)とイエスさまは教えられ、それを実行していかれました。

 ただし、清い心で生きるためには、悪い心を頭ごなしに否定するのは得策ではありません。坐禅瞑想の雑念(痛みや過去の悔いや未来の不安など)もそうですが、否定すればするほど、その思いがより強くなって自分に返ってきます。またはその時は消えてもまた時が経てば出また出て来ます。たとえば他の人の健康を妬んではならない、ならない、と禁ずれば禁ずるほど、妬ましく思えてきます。

 清い心になることは、悪い心を持つ自分を受け容れることから始まります。聖餐式の懺悔のように自分に素直になって、イエスさまと共に、心から出てくる悪を受け容れ、認め、告白し、そして悔い改めていきます。清い心で生きられるように、少しずつ心を変えていただくのです。

 そんな私たちの受容と変容を促すように、イエスさまは「みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、傲慢、、、」と一つ一つの悪い思いを挙げていかれます。人となった神イエスさまは、人間の心の悪を自ら体験し、受け容れていかれたのです。飲み込んでいかれたのです。「そうだ、人間の中にはみだらな心がある、心の中には盗みがある、、、無いと嘘はつかないし、力づくで否定もしない。ただ認める」と一つ一つ受け取っていかれます。

 そしてすべての悪を受け取り、ご自分と共に十字架につけました。悪を滅ぼされました。そして復活して清い心を与えてくださるのです。清く生きられるように変えてくださるのです。

 人の悪を受け取る。これは愛です。愛しているからこそです。ある時、子どもが悪いことをして謝罪しに行くことがありました。子どもの「悪い思い」をあるがままひ自分が受け取って、対処したのです。神はあいする子どもたちである私たちの悪い思いを受け取ってそれを始末されたのです。

 懺悔する「思いと言葉の行いの罪」をイエス様に受け取っていただおて、少しでもいいから清い心にしていただきましょう。決して諦めず、常に主に頼って。



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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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