2024年8月1 8日聖霊降臨後第13主日(特15)
直前では神さまの近さが語られました。聖餐のパンのような近さで、そしてそのパンを食する自分の肉体の近さで、神は「今ここに」おられる、と。
それを弟子たちの多くは「実にひどい話だ」と言いました。神が自分の肉体ほど近くにいる。 これを受け容れられない。それは私たちの心がつい「今ここにいる」神さまと自分ではなく「どこか他のところ」にいる神と自分へと逃げてしまうからです。それは現実から目を離して、理想や願望の自分を見ていたいからです。
聖餐式で言えば、祈る心を忘れて考えごとをしていると、パンとワインの近さで「今ここにいる」イエスさまを受け容れられません。そしてそれが故に「今ここにいる」ありのままの自分を受け容れられません。愛されることも感じられません。神から、また自分から離れて「心ここにあらず」になってしまいます。
そのような私たちに、私に「今、ここにいる」イエスさまは選択を突きつけます。「離れていきたいか。」ペトロは答えます。「誰のところへ行きましょう。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。」「今ここに」目の前にいる存在が神さまだ。今ここにいる自分が本当の自分だ。他のどこにも行かない。逃げない。今ここにいる神さまと自分をそのまま受け容れて離れない、と。
保育園を運営していた時、知的障害を持つ子のお母さんがいました。「うちは障害児保育をして ないので」と断ることもできましたが 「この母親から離れない」と皆で決めて障害児保育を始めました。お母さんこそ子供から逃げたいけれ ど、それでも「離れまい」とされていたからです。しんどいことですが 「今ここ」から離れないことが、最も 自分らしくなる道です。
私たちと一体となってくださるイエスさまもまた、父なる神から離れませんでした。十字架への途上で常に「今ここに」おられる神から離れませんでした。そしてその苦しみを通して、私たちを神から「離れさせず」に結びつけて下さいました。
主が「今ここにおられる」聖餐式のように生活しましょう。主から離れないように丁寧に生活しましょ う。そうすることで「永遠の命の言葉」は私たちの内に働きます。
「私は今ここにいる。あなたから離れない。あなたがたはどうする。離れていきたいか。」