主が共にいる、それが復活 「わたしがその人を終わりの日に復活させる」ヨハネ6:40

2024/08/07

 2024年8月11日 聖霊降臨後第12主日(特14)

「復活」の壁画, コーラ教会, 副祭壇, イスタンブール, 1316-1321. 
死んだらどうなるの? 一体どんなふうに体が復活するの? 

躓きやすい復活信仰を、今日の箇所は一筋の光で照らします。

 「わたしがその人を終わりの日に復活させる。」ここではイエスさまご自身が、人を復活させます。人の体が復活する、というだけではなく「イエスさまが」復活させる。ということはつまり、復活したらまず、目の前にはイエスさまがいらっしゃるのです。この壁画のように墓から復活する人間(アダム)はイエスさまに手を引かれているのです。

私たちはつい自分たちはどうなるのか、と自分中心に考えてしまいます。ちょうど、自分たちの腹を満たしたかった荒野の先祖や、5千人の養いでの弟子たちのようにです。しかし大切なのは、誰が、どのお方が、どの人格が私たちを生かしてくれるのか、です。

復活の命、そして復活の先取りとして今ここで部分的に与かる永遠の命とは、非人格的な「もの」ではなく、イエスさまとの関係です。復活とはイエスさま、永遠の命もまたイエスさま、というご人格です。

「人はパンのみではなく神の口から出る言葉によって生きる」(申8:3)この「言」がイエスさまです。「はじめに言は神と共にあった。」(ヨハネ1:1) 私たちは「もの」としての言葉ではなく、「人」としての言、つまり神の分身、第二のご自身、イエス様によって生かされます。

イエスさまの命もまた、自分で勝手に与えられて生きている命ではなく、父なる神との関係です。生きている、ということは誰かと関係している、ということなのです。(だからこそ、孤独の中におられる方々はとても苦しく、悲しいのです。)

ちょうど愛する人との時間はずっと終わらないでほしい、と願うようなものです。それが永遠の命です。永遠ということの幸せです。

死後のこと、復活のことはよく分かりません。しかし確信を持ちましょう。どんな暗闇も、主が共にいてくださるから、通り抜けていけるのです。私たちは主が共にいてくださるから、死を超えていくのです。主が共にいる、それが復活です。

ハレルヤ、主と共に行きましょう!



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