イエスさまが海(湖)の上を歩く場面です。海は死の象徴であり、海の上を歩く姿は、死に打ち 勝つ姿です。それは出エジプトで、民に死の海を歩かせて命の地へと導いた、主なる神の姿です。
しかし逆風に漕ぎ悩む弟子たちにとって、海の上を歩いて来るイエスさまは幽霊、死霊に見えました。 そして怯えて叫びました。「幽霊だ。死んでしまう。怖い!」 私たちが恐れるもの、それはなんでしょうか。教会にとってはそれは高齢化の先の未来かもしれません。私自身にとっては病気の再発です。
弟子たちがイエスさまを認識できなかったのは、イエスさまは出エジプトの神だと知なかったからです。死から命へと導く神だと知らなかったからです。新しい出エジ プトである十字架と復活を知らなかったからです。とくに、復活の喜びは十字架の苦しみのすぐあとに 来るという真実を知らなかったのです。
私たちもまた、人生の逆風に漕ぎ悩むとき、イエスさまが幽霊に見えます。死の恐怖、苦しみ、または他の様々な不安と心配に怯えます。目の前にいるのは実は死に勝ったイエスさまなのに、救いが目の前に近づいたのに、目は遮られていて、恐怖の幽霊しか見えません。
しかしイエスさまはもう一歩こちら側に進んで来られて、必ずご自分を明かしてくださいます。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」「あなたの目の前の恐怖、そ のすぐ向こう側に私は既に来ている。死に勝った私が、ここにいる!」
心を静かにしてイエスさまの声を聞くことができたならば、目の前の幽霊は消え、主イエスさまが現れます。そして主は私たちの人生の船に乗り込み、逆風は静まります。怯え恐れるときにこそ、私たちは実はイエ スさまに出会っているのです。十字架 の苦しみのすぐ向こう側に、復活の主は既に来られているのです。
私が学生時代に洗礼を受けたと き、病気も挫折も悩みもあり、逆風に漕ぎ悩んでいました。生きる望みなく、幽霊に取り憑かれたような時でした。しかしその時に受けた洗礼の恵みが、将来私を救うことになり、今も自分を導いています。幽霊がイエスさまに変わりました。だから今は、苦しみはきっとイエスさまの恵みに変わるだろうと信じていま す。皆さまにも、苦しみが救いに変わった体験、幽霊がイエスさまに変わった体験があるのではないでしょうか。
出エジプトの神、復活のイエスさ まの声を聞きましょう。死霊がイエスさまに変わります。そして死から命への過越の食事を祝いましょう。
「私は恐怖のすぐ向こう側に来ている。安心しなさい、幽霊ではない。わたしだ。恐れることはない。」