2024年7月21日 聖霊降臨後第9主日(特11)
愛する人の死を悲しむ方の前で、私は無力感を感じます。しかしそれでも「祈ることなら」と乏しい言葉を絞り出して祈ります。献げます。神さまは限りある祈りを受けとって、限りない慈しみでこの人を養って下さる、そう信じます。
「5千人の養い」は旧約聖書の再来です。荒野でマナを降らせた神、羊たちを青草の野で養う詩編23編の羊飼いとしての神です。
ただしイエスさまが違うのは人のものを受け取って用いる点です。弟子たちは何万人もの人を前に「養うのは無理だ」と諦めます。しかしイエスさまは問います。「パンは幾つあるのか。」弟子らは食糧をかき集めて答えます。「パンが5つと魚が2匹です」。「けれども何の役にも立たないでしょう。」(ヨハネ5) しかしイエスさまに従って、限られた糧を渡します。諦め、不満な自分自身を献げます。委ねます。
するとイエスさまは聖餐式のように5つのパンと2匹の魚を受け取り、祈り、裂いて配らせました。すると何万人が満腹したのです。弟子たちは驚き、喜びました。限られた自分たちのものを神は受け取り、無限の養いに変えられた。この神さまを体験するのが聖餐式です。
過小評価しなくても良いのです。「こんな自分は役に立たない」と言わず、自分に不満を持たず、諦めず、ただ誠実に自分を神に献げればよいのです。献げることが奇跡をもたらすのです。そうすれば神は私たちの人生を賛美して祝福して用いてくださいます。弱さも罪も限りもある私たちを用いて、無限の養いを現されます。
それが有限の人間性を受け取られた受肉の神、み言、キリストです。イエスさまの内に、神に受け取られた私たちの人間性は神と一つとなり、十字架と復活を通して変えられ、無限の命になります。限りない命、永遠の命の養いの一部となって人を養うことができるのです。
あなたが献げるパンと魚は何でしょうか。祈り、献金、奉仕、愛、微笑み、声かけ・・・私たちの限られたパンと魚は、神に受け取られ、無限に人を養う器となります。
聖餐式の奉献でパンとワインという労働の実りを献げるように、私たちも自分を過小評価せず、神さまに献げましょう。そうすれば神は私たちを受け取り、私たちは人を養う無限の恵みの器になります。
「こんな自分なんて、と言ってはならない。あなたのパンと魚を私に献げなさい。私はあなたを受け取り用いて、限りない命で人を養う。」