2024年7月7日 聖霊降臨後第7主日(特9) 聖餐式
イコン「イエスと主の兄弟ヤコブ」ロシアのイコン
私たちは関係が近ければ近いほど「あの人のことは知っている」と思い込み、その人の知らない面を見過ごします。近い人は、その弱さまでよく見えるからです。家族、兄弟姉妹、同僚、幼馴染、同級生。
イエスさまが里帰りしたとき、故郷の人は拒絶しました。「神の子と言われているそうだが俺たちは昔から知っている。こいつが神の子なんてふざけるな。マリアの息子、ヤコブの兄弟じゃないか」と。
そこには「あんな奴のうちに神がいるはずない」という嫉妬があり、また「神について私は十分に知っている」という高慢もありました。
しかし神さまは私たちが知るところを遥かに超えて、私たちの近くに、弱さの中に来られました。同じ村のマリアの息子、ヤコブの兄弟という近い存在のうちに来られました。それは私たちと同じ「死」を死ぬほどに近く、弱く来られました。
そして「神の国は近づいた」と言いつつ、反乱を起こすどころか、当時はあまりにも日常的な風景だった反逆罪の十字架刑に処されました。「神の子がこんな死に方をするはずがない」という弱々しい姿。誰も神の子が人の弱さを引き受けて死ぬ救いを知りませんでした。
しかし復活によってこの弱々しい人が神ご自身だと示されました。その弱さは死に勝つ命でした。神さまは弱さのうちに隠れて来られた。それを悟ったマリアとヤコブはイエスを神の子だと信じ、復活後の教会の中心となりました。「家族の近さで神は私たちのところに来られた。私は知っている。私の兄は、実は神だった!!」と。
そして私たちの嫉妬と高慢を神さまは赦し、「隠れた道」ヘ呼ばれます。神さまが隠れている身近な人、弱い人、日常生活で出会う人を通して、神を地味に愛する道へ。
みなさんにとっては誰でしょう。私にとってはまずは妻です。弱さや欠点を多く知っています。でも彼女が祈るときには、隠れていたイエスさまが彼女の中に現れます。目が開かれます。弱い彼女を通して、私はイエスさまに接し、イエスさまは私に接しているのです。
最も近くて、弱さを知っている人の中から主は語りかけられます。
「私はあなたの知らない神。最も近く、弱さが目に付く人の中にいる。それは十字架のような弱さだ。思い上がりを捨て、私を愛しなさい。近くて弱い人の中で、あなたは私に接しているんだよ。」