2024年6月23日 聖霊降臨後第5主日(特7) 聖餐式
「ガリラヤ湖の嵐」レンブラント, 1633年. |
♪♪あらしのひ、なみたけるうみで、でしたちをさとされた、ちからのみことばを私にもきかせてください♪♪
イエスさまが叱ると嵐が静まった場面です。ただしこの場面はたまたま奇跡が起こった。というものではありません。そうではなく、イエスさまは、ヨブ記が語る、偉大な力にみなぎる創造主だ、という意味です。その力は全世界と全ての命を創造した力、混沌と死をも支配する力です。死人のうちから甦った、復活の命の力です。
この偉大な創造主を乗せている船、それが教会です。
しかし現実の教会はローマ帝国による迫害の嵐にさらされ、64年に殉教したペトロとパウロなど、実際に殺された信徒もいて、死の恐怖に怯え、溺れかけていました。イエスさまは起きているのか。
私たちも、命の創造主を乗せている教会の信徒であるにも関わらず、死を前にして沈みそうになります。老いの逆風に悩まされ、死に至る病いの波に叩きつけられ、暗闇の中で死が最後だと絶望し、死別の悲しみの涙に沈みそうになります。
そのような死の嵐で心が溺れそうなとき、イエスさまは船尾で「枕をして眠って」おられるように思われます。それは神が力を失ったということではなく、人がそこまで真剣に祈ってこなかった、ということです。眠っているのは神ではなくて、神と人の祈りの関係です。
そんな時は、聖書が薦めます、「うるさく」祈ってイエスさまを「起こしなさい」と。「先生、私たちがおぼれても構わないのですか。イエスさま起きてください。助けてください !」
そうすればイエスさまは必ず起きてくださいます。死んだように思えていても必ず起き上がってくたさいます。復活してくださいます。そして祈りを聞いてくださいます。そして全世界の命を創造した力、十字架の苦しみによって死の力に打ち勝った復活の力で言われる「黙れ、静まれ」の言葉は全地に響き、死の嵐は治められます。心の嵐はちっぽけな波となり、そして大いなる創造主によって、平和の凪に静まります。
例えば愛する人が死に面するときです。死に怯えて私たちは、祈りでイエスさまを起こします。「イエスさま、どうか起きて下さい。助けてください。これが最期なら、心の平和を、永遠の平安をお与え下さい。」それまで真剣に祈ってこなくてもいい。不真面目だったとしてもいい。そのとき「うるさく」執拗に祈れば主は必ず起きて下さる。(ルカ11:8) 「しかたない、私がなんとかする。静かにしろ」。そして復活の平和を与えて下さいます。愛する人は天国へ行くことができた、と安心できるのです。
「わたしは教会の底で寝ている。あなたの心の底で寝ている。わたしを起こしなさい。死を目の前にして、うるさく祈って起こしなさい。わたしは必ず起きて嵐を静めるから。だからわたしを起こしなさい。」