これはエデンの園で悪魔が、すべての人間の象徴である、アダムを誘惑した言葉です。この誘惑に落ち、アダム善悪の知識の木から食べ、人間は楽園から追放されて、死にゆく存在になりました。これが人間のすべての悪の原型である「原罪」です。
ここで「善悪の知識を得ることがなぜ悪いのか」と思います。ですが肝心なのは誰を信頼するかです。神か自分か。人生の大切な局面で、自分だけの判断で決めるか、それとも神に頼って、祈って、考えて決断するのか。つまり神さまから独立して生きようとする姿勢が「罪」なのです。神さまが導く命の道に対する反逆なのです。
善悪の知識を持ち「神になろう」とする人間は、神にとって代わって自分で自分に命を与え、自分で自分を救おうとする罪を宿します。神以外のすべて (処世術、占い、金銭、人間の働き…)によって救おうとします。しかし命は神からしか与えられません。神から独立して自分で自分を救おうとしても人間は罪と死から解放されません。
そんな人間の独立の罪をやり直すために、神は自ら人間となりました。それが新しいアダム、キリストなるイエスさまです。悪魔に誘惑されても、この方は徹底的に父なる神に頼りました。「人は…神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」(マタイ4:4)
このお方は「人間の罪を代わりに死んで命に与らせる」という父なる神の救いのみ心に徹底的に従われました。死んで復活するまで従われました。それでこの方と父を信じるなら、その従順によって新しい命にあずかれるのです。
「わたしを信じて、神を信頼して生かされよう。神に頼る本当に自由な命に。」