勇気の霊  「どうか福音の宣教によって、聖霊がますます世界に注がれますように」(聖霊降臨日特祷)

2024/05/15

聖霊 宣教

2024年5月19日聖霊降臨日 
「聖霊降臨」、1100-1150年頃、ベネチア、サンマルコ大聖堂、西側丸屋根.

正直なところ「宣教」や「伝道」と聞くと「しんどいなぁ」と思う時があります。世界伝道どころか私たちの教会の現実は、信徒数の減少や、高齢化や、教区や教会の統廃合…。特効薬はなく、魅力や「カリスマ」の少ない自分に失望したりもします。

しかし聖書が強調するのには、福音伝道は人間の業績ではなく、聖霊の働きです。人間が自分の主張を人に押し付けるのではありません。自分の力に頼るものでもありません。「聖霊に満たされて霊が語られる」のであり(使2:4)、イエスさまの息による罪の赦しの宣言です(ヨハネ20:22)。

弟子達は自分たちに聖霊が降るように一つに集まって祈りました。「み国が来ますように」の運動でもしたように、人々に聖霊が働くように祈りました。自分にも相手にも聖霊が働くように祈るのです。

私たちも聖霊に頼るとき、勇気を出して語ることができます。「今この人に伝えたい」と願っておられる聖霊が力をくださるからです。「イエスさまはあなたに自分の命を与えたんだよ。あなたは愛されているんだよ」と。直接的にそう言うことは滅多にないと思います。でも間接的に「あなたは神さまに愛されている」というメッセージは、時と場合と人に応じて、また行いや態度によって伝えることができるものです。

伝わらなくても、拒否されても気にしてはいけません。責任は聖霊がとられます。めげずに忍耐強く愛を伝え続けるのです。

そうしている中で、聖霊が相手に働くとき、人は神の愛の宣言を受け容れます。それが「めいめいが生まれた故郷の言葉を聞く」(使2:8)という体験です。聖霊に呼ばれて人は神を選びます。十字架の愛を知ります。人が決心をする場に聖霊が働くのです。

伝道については数ではなく聖霊を求めましょう。私たちが十字架の愛を語れる勇気を。相手がイエスさまの愛を受け容れる奇跡を。

「わたしを信じなさい。あなたが語るべきとき、わたしが必ず勇気を与えるから。」

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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