2024年5月5日復活節第6主日 聖餐式
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万国民の教会(苦悶の大聖堂)ファザード、オリーブ山、エルサレム |
入院中に親しい友人ができました。有り余るほどの時間のなかで、ゆっくりと出会い、語り合い、 親しくなりました。自分の病気や 過去、今の気持ちや絶望、未来 の希望や願い・・・。心の奥を開 いて相手に告げることを通して人は親密になります。親しい友になります。何も語り合わないと親しくなれません。そして親友のためなら、何でもしたい気持ちになります。
イエスさまが私たちを友と呼んでくださるのもまた、表面上の呼びかけではありません。言葉と行いでご自分の心を開き、奥底を示しくださることを通して、親密な友となってくださいます。
イエスさまの心の奥底、それはイエスさまが「父」と呼ぶ存在との親密な交わり、友情のような交わりです。「わたしはあなたがたを友とよぶ。父から聞いたことをすべてあ なたがたに知らせたからである。」 (15:15) 神とは友情そのものです。
この父と子の親密な友情は私たち人間にも向けられ、私たちをもその友情に入るように招かれます。 神は私たちと友情を結び、親密な関係、親友になりたいのです。
しかし私たち人間はそんな神の友情を拒み裏切ってしまう存在です。そのままでは神の友にはなれない。だからイエスさまは「友のために命を捨て」、私たちの拒絶を自ら被って死なれました。そうすることで私たちの拒絶と裏切りを消し去り、 赦し、私たちをご自分の友、神の親友にしてくださいました。
十字架は、ご自分の友情に対する拒絶をも受け止める姿です。神 はその友情のために、ご自分の命をも分かち合ってくださった。
神は私たちのために命を捨ててくれた親友です。わたしたちは神の親友なのです。何という喜びか。 だから親友が語り合うような親密さで、神と語り合ってよいのです。
そして友情には友情で応えます。いつどんな時も自分のために死んでくださった「友なるイエスさま」に忠実でいる。そしてイエスさまが友と呼ぶ人々を愛する。そうしてさらに神と親密になるのです。
口を通して触れ合う最も親密な瞬間である陪餐を通して、イエスさまとの親密な友情を深めましょう。 神は友情を分かち合われます。
「友よ、あなたはわたしの親友だ。友よ、あなたのためにわたしは命を捨てた。友よ、わたしの友情に忠実でいてくれ。友よ、わたしの最も親密な友よ。」