Doingからの解放 「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。」マルコ2:27

2024/05/31

Being 安息 聖霊

 2024年6月2日 聖霊降臨後第2主日(特定4) 

「海を干上がらせて、民を渡らせ、海を敵の上に戻すモーセ」 Dura-Europosユダヤ会堂の壁画、紀元後244年頃.
「安息日には働いてはいけない。」この戒めをファリサイ派は、こと細かに守りました。人を癒すこと、「床をかつぐこと」(ヨハネ5:9)、または歩く範囲まで定めました(使1:2)。神さまとの関係を忘れ、「してはいけない」という人間の禁止事項に束縛されるようになりました。

それでファリサイ派はお腹の空いた弟子達が安息日に麦を摘んで食べていることを咎めました。それに対してイエスさまは大胆にも「ダビデが安息日に神殿のパンを食べたように自分も食べてもいい」と答えてこう言いました。「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。」

安息日の本質は、あらゆる労働への隷属、労苦、束縛からの解放です。モーセの十戒では人だけでなく、奴隷も家畜も労働から解放されます。神が慈しむ人間の自由と創造物の本能を回復します。そしてエジプトの奴隷から解放してくださった主の救いを覚えて安息し、感謝と賛美を捧げます。だから命を回復することは安息日に適っているのです。「安息日に許されているのは…命を救うこと。」(3:4)

本来、働くことは善いことなのですが、生活の必要から、または神を忘れるとき、私たちは、忙しい日常生活の奴隷になってしまいます。労苦に縛られ、心の安息を見失い、疲れ果ててしまいます。

イエスさまは真の安息、つまり罪と死からの解放を定めるために十字架に束縛されて死に、死の奴隷から私たちを解放して下さいました。そして復活し、聖霊によって私たちの内に存在しておられます。

この聖霊の存在に満たされるのが教会の安息日である主日です。礼拝は仕事でも義務でもなく、安息です。神さまの存在の内にすべての労苦から解放されて、深く安息する場です。人間の全てのDoingを一旦委ねて、神さまのBeingに安息します。そして十字架と復活によって私たちを解放してくださった神さまへの感謝に満ちるのです。「父に信頼する者を苦しみから解き放つ」安息に満たされます。そして神に赦され、受け容れられ、新しくされ、養われます。
解放の食事である聖餐の内に、神さまの安息にホッとしましょう。

「私はあなたに安息をあげる。私はあなたを全てのDoingから解き放つ。だからそのまま、私の安息に、私のBeingに安息してればいいんだよ。」


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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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