2024年4月7日復活節第二主日
太陽と月の創造、ミケランジェロ、システィナ礼拝堂 |
私のように教会にどっぷり浸かっている者は「神さま、神さま」と呼びすぎてその本来の意味を忘れがちです。それは天地の造り主、すべての命を支配する「創造主」なる存在です。トマスはこの創造主と出会ったのです。
トマスは復活の朝にはイエスに会えませんでした。しかし他の弟子らは復活したと言います。だから一週間の間ずっと会えることを望んでいました。「釘跡に指を、脇腹に手を」とは、疑いというよりも求める心の表れです。私たちが毎週神さまを求めて礼拝に来ることの象徴です。
そしてついにイエスさまと出会い「好きなだけ私の体に触れていいよ」と言われました。その瞬間にトマスは、イエスさまに会えて「喜んだ」だけの他の弟子たちよりもはっきりとことの重大さを悟って告白します。「わたしの神よ。」
このお方は人間であるだけではない。私を含め、生きとし生けるものに命を与えるお方。アブラハムに不妊のサラから命を与えたお方。自ら死んで復活することで死を滅ぼし、新しい創造を始められたお方。そして私たちを新しく創造し復活させるお方。
この人は全宇宙と歴史の創造主、「初めに言(ことば)があった」とされる神だ、と。
これを見て信じたトマスは「命」を受けました。もはや死や病いや苦しみは消える新しい創造世界に入りました。私たちもまた「見ないで信じる」ことで創造主としてのイエスさまに出会い、新しい創造世界に入るのです。
復活のイエスさまと出会う。それは創造主を信じ、出会い、新しく創造されることです。それが毎主日の聖餐です。見えない創造主に、目に見えるパンとワインを通して出会い、驚くべき命の輝きを賛美し、変えられましょう。
「わたしの子よ。わたしはあなたの創造主だ。」