生きている!  「あの方は復活なさってここにはおられない」マルコ福音書第16章6節

2024/03/28

復活

2024年3月31日  復活日
The Empty Tomb. Mikhail Nesterov. 1889.

「イエスさまは、今も生きている!」これがキリスト教です。これを信じればそれで十分です。救いも赦しも、天の国も神の愛も、すべてはこれを信じる人に与えられます。

 復活信仰とは、死んだ体がどのように復活するのかを分析して説明して納得することではありません。そうではなくて「イエスさまは死んだままではなく、今も私たちの近くで生きている」と信じて、罪と死の過去に囚われず、共に生きくださっている現在を確認し、明るく未来を生きていくことです。希望です。

 しかしそう言われても、死を越える命を信じるのは困難です。イエスさまのご遺体を葬ろうと墓にきたマリアたちは、天使に復活を告げられました。「あの方は復活なさってここにはおられない」。そこで彼女たちは信じたのではなく「墓を出て逃げ出した。震え上がり正気を失っていた。そして誰にも言わなかった。恐ろしかったからである。」マルコ福音書は失敗で終わり、結末は読者の決断に委ねられます。あなたはどうする?

  私たちはマリアたちのように、ともすると否定的な心で死や罪に目が行き、心が囚われるのが自然です。病気の不安や恐れ、死の悲しみ、罪を犯した過去、どうしても愛せない自分。心が暗くなり、希望を忘れ、絶望に傾きます。

  しかしそれら全ての源である死を見つめても救われません。そこに主は「おられない。」死と罪は十字架と共に過ぎ去り、主イエスさまは新しく生きておられるのです。

 つまり「死や罪を見つめるのはもうよしなさい。今も生きているお方を見つめなさい。あなたの痛みを負い、病いを知ったお方は、あなたの代わりに十字架で死に、今、新しい体で生きている。」聖書は初代信徒たちのこの強烈な「主は生きている」実感を伝えます。

  一度は逃げ出したマリアたちも、イエスさまに出会うのです。その時どう生きるか。死と罪に囚われるのではなく、今も近くに生きておられるイエスさまを信じましょう。イエスさまを通して生活と人生と世界を信じましょう。死よりも強い命を、罪よりも優しい愛を、絶望より明るい希望を生活の中で実践しましょう

   聖餐の只中に生きておられる主の声を聞きましょう。「今も私はあなたの近くで生きている。だから一緒に、新しく、生き直していこう。


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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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