それで十分だ  「感謝の祈りを唱えてから」ヨハネ福音書第6章4節

2024/03/06

感謝 赦し

2024年3月10日大斎節第4主日
Ambrosius Francken I (circa 1544/1545-1618), “Multiplication of the Loaves and Fish” (photo: Public Domain)

 今日の旧約聖書は、神を裏切った罪の赦しが語られます。「この地はついに安息を取り戻した。」(歴下36:21)
 使徒書もまた赦しを語ります。罪に死んでいた私たちを神は愛し、共に死んで共に復活することで、生かしてくださった。(エフェソ2:4-5)
 5千人の養いの奇跡もまた、赦しの奇跡と言えます。
 飢えた群衆を前にして、自然なことに、弟子たちは三度も否定的な考えを繰り返します。「そんな大量のパンを売る人はここにはない。」「一人少しずつでも200万円だが、そんなお金はない。」健気に5つのパンと2匹の魚を集めてきた少年に対しても「何の役にも立たない」と。自分たちを否定します。
 そんな否定的な弟子たちを前に、イエスさまはそのパンと魚を神に感謝されました。「これで十分だ」と肯定されました。そしてそのパンと魚を分け与え始めると、群衆全員が満ち足りたのです。
 これは赦しの奇跡でもあります。罪とは神さまに頼らないことです。だから罪は人を死んだようにします。人生や信仰生活で「こんな自分には力がない、足りない、ダメだ」と自分を否定して責めて苦しくなります。
 ですがイエスさまは十字架から肯定されます。「それで十分だ。私があなたの代わりに死ぬ。あなたはもうそれでよい。」そして私たちの存在を責めずに、感謝されます。「父よ、この人たちが生きているだけでわたしは嬉しい。感謝します。」この感謝によって私たちは赦され、喜び、養われ、新たな愛の働きへと力づけられます。
 ギリシャ語で「感謝」と呼ばれる聖餐式で、神さまはあなたを感謝し、あなたを赦されます。「それで十分だ。」

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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