2024年1月28日 顕現後第4主日
カペルナウムの会堂でのキリスト. ランバッハ修道院, オーストリア,11世紀. |
「私はあなたが好き」 恋する人に告白するときは、自分自身の気持ちを素直に伝えます。「〇〇さんはあなたを好き」とか「状況証拠から、私はあなたが好きなようです」では自分の思いは届きません。
カペルナウムの会堂で、イエスさまの語りかけを「新しい権威だ」と律法学者たちが驚いたのは、イエスさまが「自分自身の気持ち」として神さまの心を語ったからです。「聖書にはこう書かれています」とか「あの先生はこう言いました」と、他の権威によってではなく、自分の気持ちとして自由に、力強く語られました。神さま自らがご自分の心を語られたのです。驚きです。
それはただの、モーセの「ような」預言者(申18:18)ではなく、絶対の実行力を持つ新しいモーセです。人となり、死に、復活することによって新しい契約を結ぶ神さまが、自らの心を語っているのです。「結婚して下さい」と告白した人は、その結婚を実行するようなものです。イエスさまを通して神さまは、自らを犠牲にして命を与える愛を語るだけではなく、その愛を実行して死に、そして復活されました。死にも罪にも負けず、神の言葉を少しも違わず実行されました。
人となった神が語る自分の心、それは愛です。(1コリ8:1) イエスさまの教えは知識を伝えるだけの言葉ではありません。命をかけた愛の告白であり、愛の実行であり、人を愛に変えてしまう出来事です。「それでもわたしはあなたが好きだ。」
この神さま自らの愛の告白が、人に取り付いた汚れた霊を打ち負かせます。「この人は汚れている」という偏見の呪縛を打ち砕いて、愛は死に勝ちます。「ほかの人間がどう言おうと関係ない。それでもわたしはあなたが好きなんだ。」
聖餐の中心も神さま自らが語りかける「わたし」です。「これはあなたがたのために与える、わたしの体。わたしの、新しい契約の血。」神は聖餐で、ご自身の愛の心を開き、その愛を実行されます。陪餐のときの言葉を「わたしはあなたが好きだ」と言い換えてもよいのです。
そして神さまに「わたしは」と語りかけられた人は、自分の殻を出て神の溢れる愛に飛び込みます。自分の「私は」が呼び覚まされます。「私もあなたが好きです。小さく弱いですが、私の人生を捧げます。」
「わたしはあなたが好きだ。死ぬほど好きだ。あなたはどうだ?」