2024年1月21日 顕現後第3主日
人生の終わりに夫婦が最初の愛を思い出して微笑む。この箇所はそのような記述です。裏切りや十字架、復活と聖霊降臨、宣教と殉教。色んな出来事を経てペトロがイエスさまへの最初の愛を振り返っています。そしてペトロの記憶を通して教会がイエス様への最初の愛を振り返っています。
ペトロはもともと「教皇」や「大主教」という世界的な宗教指導者とは程遠い無学な田舎の漁師でした。そこにイエスさまが来て「わたしについてきなさい。人をとる漁師にしよう」と言われたのです。それが最初の愛の瞬間です。その瞬間にペトロは家族も、家業の漁師も、自分の未来も不安も捨て「すぐに網を捨てて従った」のです。
最初の愛の瞬間にペトロを惹きつけた憧れは、イエスさまのうちに近づいた新しさと懐かしさでした。「神の国は近づいた、悔い改めて福音を(わたしを)信じなさい。」新しい世界を見たい。忘れていた本当の自分に帰りたい。あなたについて行きたい。
最初の愛。私にとってそれは学生時代に礼拝で感じた「このためになら生きていける」という、探し求めていたものを見つけた喜びでした。生きる意味、人生を捧げる相手でした。そしてこの最初の愛を貫こうとし始めました。
神さまへの最初の愛。どんなに小さくても、この世的な出来事でもいい。皆さんにもあるのではないでしょうか。最初に神さまを愛した体験です。
ただし私の場合は、洗礼を受け、聖職按手も受けたものの、病気や失敗で自信を失い続けてきた最初の愛です。それでも自分の愛を超えて神さまはここまで私を連れてきてくれました。神さまこそが、最初の愛を忠実に貫いて、私を守り導いてくださったのです。
ペトロもまた、裏切りと宣教と殉教を通して何度も最初の愛を忘れかけましたが、それでもイエスさまに導かれて、かろうじて愛し続けたのです。
そしてイエスさまこそ、ペトロと出会った最初の愛を貫かられました。ペトロを愛して「人をとる漁師にする」と約束し、その約束を果たすために十字架でペトロの罪を担って復活し、聖霊によってペトロの宣教と殉教を力づけ、最終的に人をとる漁師としたのです。イエスさまが愛を貫いてくださるからこそ、私たちも愛を貫けるのです。
元漁師の教皇が語ります。「最初の愛を貫きなさい。私も何とか貫いた。」
イエスさまが語ります。「最初の愛を貫きなさい。私はあなたへの愛を必ず貫いて、罪と死を背負って守るから。」
そして信仰生活の最後には、最初の愛を振り返って、感謝しましょう。「あぁ、あなたを愛して本当によかった。」