2024年1月7日 顕現後第1主日 主イエス洗礼日
David Zelenka. 主イエスの洗礼. 2005年. |
ズドーンとこの言葉が心に響きました。何の難しい考えもいらない。註解書も神学書もギリシャ語の分析よりもさきに、神の愛は私の心にズドーンときます。どんなに不安でも、悩んでいても、怖くても、祈りが足らなくても関係ない。神さまは語り続けられます。私のために死んでくださるほどのその愛を。「あなたはわたしの愛する子」と。
このマルコ1章11節が聖書にあるかぎり、昔も今もこれからも、どんな時もずっと、私は安心です。その都度、何度も何度も神は私に愛を語ってくださるからです。
神の愛は感情だけではありません。神の愛を感じるかどうか自分の心や体験の中を探さなくてもいいのです。イエスさまと一緒に、聖書の言葉を自分に言い聞かせれば、その言い聞かせる言葉を通して神さまは語りかけられます。「あなたはわたしの愛する子」と不安で恐る自分に言い聞かせればその言葉を通して、神は語りかけられます。ゆえに聖書は救いの書なのです。
イエスさまは宣教活動の初めの洗礼で、この父の愛の言葉を聞きました。以来ずっとこの言葉を自らに言い聞かせられたのだと思います。荒れ野で悪魔に面し、神の支配を宣言し、弟子を選び、人を癒し、論敵と対峙し、友に裏切られて死ぬ人生。その間ずっと愛を自分に言い聞かせ、人に教え、父に祈られました。そしてその言葉を通して、父はイエスさまに愛を語り続けてこられたのだと想像します。
だから十字架の苦しみの中で「神に裏切られた」と嘆きつつも、それでも「あなたはわたしの愛する子」という愛を信じたのだと思います。そして復活がその神の愛を確証したのです。
聖書の愛の言葉を自分に言い聞かせましょう。神はその中で愛を語られます。洗礼と聖餐を通して自分に言い聞かせましょう。
「わたしの愛を言い聞かせなさい。そうすれば必ず聴き取れる。あなたはわたしの愛する子。」