2023年12月25日 降誕日
サッソフェラート(本名 ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ)《眠る幼子イエス》1640-1685年頃、ルーヴル美術館 |
禁煙のきっかけは保育園の赤ちゃんでした。その指は小さく美しく、「初めにあった」良い命が透き通っていました。しかしその指が握る私の人差し指はタバコのヤニで黄色い。その瞬間「そんな指でわたしの良い命に触れるな」と感じ、以来、禁煙しています。
母マリアはとても親密に「初めにあった良い命」を感じたことでしょう。その受胎は聖霊から告げられ、胎内で命が動くのを感じ、命がけで出産し、その胸でいま我が子を抱いている。母は「初めにあった」神の命と、神の愛に満ちていました。「この命は、良い ! 」
この世界は初めに「良い」創造主に造られました。だからこの世界のすべての存在、すべての命は「極めて良い」のです。(創世記1:31、感謝聖別 II) そして「言」とはその良い創造主の愛です。「初めから終わりまでわたしはあなたを愛している。あなたは良い存在なのだ。」
だから人間がヤニのような罪によって、自分やお互いを汚して、傷つけて、歪めてしまうことを創造主はとても悲しみます。だから「初めにあった」良い命は、人間の赤ちゃんとして生まれ、人間の汚れを負って苦しみ死に、復活して赤ちゃんのような命を取り戻しました。新しい命の「初め」になりました。聖霊によって私たちはこの「良い命」に与かるのです。
「初めにあった命」である創造主が私たちを造られたと気に与えた良い命。神は、どんなに私たちが悪い命になったとしても、創造した最初の愛に忠実です。見放すことは決してされません。私たちの命を、「初めにあった」愛の言で、命を創造し続けてくださいます。悪くなった命をも、「良い命」に変えられます。
聖餐では供え物を生きたキリストに変える「初めからの良い命」が働きます。聖霊です。私たちもこの良い命に変えられて、赤ちゃんのように良い命になって、人生を生き直しましょう。そこに美しい神の命が透き通ります。
「初めに命があった。あなたの初めにも命があった。そして見よ、それは極めて良いのだ。」