二人の教会

2023/09/07

祈り 教会

 「二人または三人が私の名によって集まるところには、わたしもその中にいる」マタイ福音書第18章20節

2023年9月10日 聖霊降臨後第15主日(特定18) 

修道士
After Christian Andreas Schleisner, Two Monks In A Monastery.
 教会で悪いことをされたらどうするか。「可能なら、二人になって話をしなさい」と教えました。大勢の前ではプライドが邪魔をするからです。「自分は傷ついた」というのも勇気が要り、またそれを受け入れて「悪かった」と謝罪することはもっと勇気が入ります。
 そして二人が勇気を出して、受け入れて、祈って、謝罪して、赦して、和解したならば、その二人の間には「兄弟を得る」喜びが天地に響き渡ります。
 しかしそう簡単にはいきません。感情的に反撃されて、喧嘩になるかもしれません。しかし腹を割って心の中を言わなければ、本当の和解はありません。何も無かったことにして恨みを溜めることになります。
 だから三人で、または全体で、そして絶交する、などの次の手も許されています。しかし教会の基本は二人の関係です。
 罪が二人の関係で起こるならば、恵みである神の存在もまた、二人の関係に約束されています。イエスさまは、二人が自分の存在を信じて「集まるところ」には必ず存在する、と約束されました。ただ仲の良い友人と祈るところだけではなく、衝突しあいながらもそれでも「忠告し、聞き入れ、兄弟を得る」ところにも、必ず存在されます。
 神はまず、二人の関係のなかに現れる存在です。それは愛が一人ではなく、二人の間で成るものだからです。神は愛です。
 勇気と赦しと愛を目指す、二人の関係。これが教会の十分条件です。二人でいいのです。100人の教会も1000人の教区も、イエスさまがともにいる、二人の関係から始まります。
 「大丈夫。私はいるよ。あなたとあの人の、二人の間に。」


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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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