「この岩の上にわたしの教会を建てる」マタイ福音書16章18節
2023年8月27日 聖霊降臨後第13主日(特定16)
「ペトロの三度目の否認」 ジェームズ・ティソ, 1886-1894. ブルックリン美術館, ニューヨーク. |
神さまとは、必ず誓いを果たす存在です。イエスさまは、弱さだらけのペトロを「岩」と呼び、彼の上に「わたしの教会」を建てられ、そして愛を誓われました。「陰府の力もこれに対抗できない。」(16:18)わたしは必ずあなたを守り通すと。
私たちはペトロの末裔です。神さまが必ず守り通す、と愛を誓われた共同体です。
だから私たちがペトロのようにどれだけ弱くて神さまを誤解し、疑い、裏切っても、それでも神さまは必ず愛の誓いを果たされます。「主の教会を清め守り、恵みと力によっていつまでも堅く保って」くださるのです。(特定16特祷)
実際、ペトロの信仰告白には誤解がありました。彼が「メシア(油注がれた王)、生ける神の子」(18:16)に望んだのは、霊的な解放ではなく、軍事的独立でした。だから叱責されます。(16:23) また、ペトロは湖の上を歩く場面でもイエスさまを疑い、ゲッセマネでは眠りこけ、そして大祭司の中庭では愛する先生を裏切り、激しく泣いた人です。
しかしそれでも全ての場面でイエスさまは「ペトロを見つめられた。」(22:61) つまりイエスさまはペトロを決して見捨てられず、誓いを反故(ほご)にされず、誓いを果たされました。誤解と疑い、弱さと裏切り。これらにも関わらず復活の主イエスさまは、ペトロを赦して世界に広がる教会の岩にされたのです。
同じように神さまは最初の愛を貫いて私たちを正し、信じ、強め、赦し、守ってくださる。これが私たち、ペトロの末裔への神さまの誓いです。「天の国の鍵」であり、「結んだり解いたり」して人に伝える神の愛です。赦しとは、過ちにも関わらず最初の愛を貫くことです。
私たちは聖餐式で告白します。「主イエス・キリストを信じます。」ですが実態は弱く、誤解ばかりで、愛を裏切り、死の力に負けてしまいます。しかし神さまは、何度でも、悔い改める人を赦し、愛の誓いを果たさます。これが新しい誓約(新約)です。この誓約を感じるために聖餐式では「あなた方および多くの人のために流す、わたしの新しい契約の血」を飲むのです。
「あなたがたはペトロの末裔。愛を誓ったわたしの教会。安心しなさい。わたしは必ずあなたを守り通す。最初の愛を貫き通す。」