「憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」 マタイ福音書15章22節
2023年8月20日 聖霊降臨後第12主日(特定15)
イエスとカナンの女 |
祈りは自分のためよりも愛する人のために祈るとき、最も強くなります。
この異邦人の「カナンの母」もそうでした。愛する娘が悪霊の様な力に「ひどく苦しんでいる」。愛する娘のためなら何でもする。何でもしてきた。昼夜、必死に祈ってきた。娘には「大丈夫。お母さんが何とかしてしてあげるから」と言って励ましていたでしょう。
そしてこの母は自分たちを蔑むユダヤ人の癒し人を「ダビデの子」と告白してまで助けを求めました。「主よ、憐れみをお与えください。キリエ・エレイソン!」と叫び続けてついていくのです。
しかしイエスさまは背を向けます。「わたしはイスラエルの家にしか遣わされていない。」これは「ケチ」ではなく、旧約時代からの神の約束を成就する正しい順番です。
それでも母の叫びは鎮められるばかりか、より一層強くなります。今度は前に出てひれ伏し「どうかお助けください。異邦人の犬でもいい、憐れみのパン屑をください。愛する娘が癒やされるまで、絶対にあなたの前からどきません」と。
イエスさまはこの強い願いを受け入れました。「大きな信仰だ。神はあなたの願いを聞いた。」そして娘は癒されたのです。
愛する人のために祈る。これが「神の国」を来らせます。イエスさまはこの母の姿に、自分を重ね合わせたのではないでしょうか。イエスさまは愛する弟子と(私たち)の癒しを願い、祈り、実行されます。「必ずなんとかするから」と、私たちを罪の病から癒すために、罪を背負って死なれました。絶望の病から癒すために十字架で絶望されました。死の力から癒すために、死なれました。そして復活の命の癒しを与えてくださるのです。イエスさまは今日も聖餐式で私たちのために願い、祈り、癒してくださいます。
「私が必ずなんとかする。愛するこの人が癒やされるまで、私は絶対諦めない。父なる神よ、私を憐れんで下さい。主よ、どうかお助け下さい。」