「水の上を歩いてそちらに行かせてください」マタイ福音書14:28
2023年8月13日 聖霊降臨後第11主日(特定14)
PHILIPP OTTO RUNGE. Christ Walking on the Water. 1806–07, Hamburger Kunsthall. |
教会は一度も順風満帆だった時はありません。現代日本でも、宗教改革でも、中世でも古代でも、マタイ福音書の時代でも教会はいつも「逆風の波に悩まされている舟」です(14:24)。迫害・弾圧、伝道の失敗、分裂、対立、教会離れ、愛の欠如、献金不足、貧富の差……私たちの教会の問題は既に聖書に描かれています。それが希望でもあります。
マタイ14章の「水上歩行」は譬えです。「教会が悩まされる時、あなたはまず一人になり、イエスさまだけを見つめ、水の上を歩くように祈りなさい」と。
波風に悩まされる船に、イエスさまはその波の上を歩いて来られます。「安心しなさい。私だ。」そこでペトロは願います。「もしあなたなら、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスさまを証明するためでもあり、「波風に苦しまないあなたのところに行かせてくだい」という願いです。
「来い」と呼ばれたペトロは舟から出て水の上を一歩一歩進みます。しかしすぐにイエスさまから目をそらせ、波風に溺れ死ぬ不安に駆られた瞬間、沈みます。ですが「主よ、助けてください」とヨナのように叫ぶとイエスさまは手でしっかりと掴んで下さいます。「なぜ疑ったのか。」そして船に連れ戻されると、波は静かになります。
支配欲、不信感、虚しさ、愛の欠如、疲れ・・・。問題ではなくイエスさまだけを見つめ、イエスさまと親しく心を通わせて波の上を歩く。気を奪われて沈んだとしてもいい。主が必ず掴んで下さる。これが、教会が必要とする個人の祈りです。
そしてイエスさまに連れられて愛する舟に帰ってきたとき、風は静まります。一人の祈る人が教会を変えるのです。
「さあ、あなたもその船を出て歩いて来なさい。沈んでもわたしが掴むから。ただわたしだけを見て、一人で歩いて来なさい。」