「み言葉を聞いて悟る」
マタイによる福音書第13章 23節
ゴッホ「種蒔く人」, フィンセント・ウァン・ゴッホ,クレラー・ミュラン美術館,オランダ |
「良い土地に蒔かれたものとは、み言葉を聞いて悟る人である」(13:21)。この「悟り」は地上から逃げる神秘体験ではありません。逆に、「天の国は近づいた」と、地上で生きる自分とその根っこにまで近くに来てくださった神さまの愛を深く知ることです。私を愛して私のために命を与えてくださったイエスさまを信じて、噛みしめて、理解して、それを日常で実践する生活ことです。これが種まきの譬えの中の「根を張る」という表現が励ますところの、神の愛の悟りです。
まず「道端」は何も信じず理解しません。ほんの少しでいい。愛を信じる。それが救いのはじめです。
そして「石だらけの土」。順風満帆の時は神の愛を感じますが、不幸や病気、躓きや不利益に会うと、神の愛を感じられず、苦しみます。
それに対して「根を張る」ことが励まされます。それは祈りによって、生活の隅々にまで染み渡る神の愛を信じて、理解して、実践することです。目覚めた時、顔を洗う時、掃除をする時、働く時、人と話す時、食事をするとき、眠る時・・・。そうすれば苦しみに襲われても忍耐できます。非常時を生き残る、神の愛の防災意識です。(もちろん私は悟ってなんかいません)
小さい祈りでいい。目を覚ましたときに十字を切ること。ただ手を合わせること。電車でただ一言「父よ」と祈ること。ただ呼吸すること。微笑むこと。悲しむ人と共に悲しむこと、聖歌を口ずさむこと。一日の働きを感謝すること。美味しいご飯、楽しい時間を感謝すること。このような実践が愛を悟らせます。
このように生活に神の愛を根付かせた「良い土」は、父へ全てを委ねます。「思い煩うな。天の父はあなたの必要を知っている。明日のことは明日自らが思い煩う。」(6:25-34)神さまの愛を深く信じて、悩みごとを委ねる祈りの心です。
イエスさま自身、自分の人生の隅々に染み渡る父の愛を信じて、深く理解して、それを実践して十字架へ向かわれました。
そして今は私たちと一つになって、私たちの生活に神の愛の根を張り巡らせてくださっています。
「私の愛の根っこを生活に張り巡らせなさい。私は必ずあなたの生活と人生の全ての瞬間を実らせる。だから愛の根っこを張りなさい」