この収税所を出よう

2023/06/07

ゲッセマネ 自由 従順

 「彼は立ち上がってイエスに従った」マタイ福音書9章9節

2023年6月11日聖霊降臨後第2主日(特定5)

CARPACCIO, Vittore. The Calling of Matthew, 1502. Scuola di San Giorgio degli Schiavoni, Venice.

 従うことは、イヤなことです。自由が制限されます。


 マタイがそれまで座っていた収税所は豊かな生活の基盤でした。仲間には少々嫌われますが、税を集める権利さえ買えば、あとは高い税率で通行人から収税できます。だのになぜこの収税人は「私に従いなさい」とイエスさまに言われて、すぐに座っていた収税所から立ち上がって従うことができたのでしょうか。


 それは医者としてのイエスさまに招かれたとき、「自分は自由なようで不自由だ。金銭に囚われている」と認めたからだと思います。マタイは「自分は医者を必要とする病人だ」と認め、この囚われの病が癒され、解放され、自由になるためにイエスさまに従いました。「この人に従えば、本当の自由を得られるかもしれない」と。自分の小さな自由を捨てて神に従うことで、本当の大きな自由に生きることができます。それが十字架と復活を生きる生活です。


 イエスさまは本当の自由を生きるお方です。人となった神として私たちと同じ人間的な意志を持ち、しかしそれを父なる神に委ねて従い、完全な自由、最も人間らしい人間性を開かれました。私たちは洗礼と聖餐によって、この自由に与かります。


 ゲセマネでの祈りがこの完全な自由を表しています。「この杯を私から取りのけてください。しかし私の望みではなく、御心のままに」。イエスさまに結ばれて神の御心に従うとき、私たちは最も自由になります。神さまと人間は競合せず、神さまの自由が働けば働くほど、私たちは自由になります。それが永遠の命です。


 私たちも、自分が座る収税所から立ち上がってイエスさま、神さまに従いましょう。そして最も自由な自分らしい自分にしていただきましょう。


 陪餐を受けるために座っていた会衆席から立ち上がるとき、自分の小さな自由を置いて、神さまの大きな自由に出て行きましょう。そうすれば私たちは必ず最も自由になります。



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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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