一体だから、受け容れられた

2023/05/31

イエス 三位一体 受肉

 「主は・・・父と一体です」(ニケヤ信経)

2023年6月4日三位一体主日


三位一体のイコン、モルドヴィツァ修道院、ルーマニア、15世紀

 私たちは毎週、「主イエスキリストは…父と一体です」と言って信仰を告白します。「三位一体」は抽象的な矛盾(1+1+1=1)という言葉遊びではありません。父と子(と聖霊)が「一体」かどうかに、私たちの救いがかかっている最重要の事柄です。
 救いとは、神さまを裏切って遠く離れてしまった人間が、再び神さまご自身に受け容れられ、赦され、解放され、再創造され、派遣されることです。
 そこで神さまは自ら、ナザレのイエス、という人間となる「受肉」によって、ご自分の内に罪ある人間性を受け容れられました。イエスさまは100%人間であり、100% 神です。そして人間の罪の結果の死を受け容れ、神の命に甦り、人間を神の内に受け容れられました。
 ここでもしもイエスさまが、どれだけ愛を行った素晴らしいお方であったとしても、神ご自身でないのなら、私たちは神さまに受け容れられたことになりません。その方は人間であって神ご自身ではないからです。だから私たちはイエスさまは神だと信じます。「アバ、父よ」と呼ばれた神と一体の子として、神ご自身だと信じます。
 卑近な例で言えば(現実には無理ですが)夫婦が完全に一体なら、片方が進んで受け容れたお客なら相方は、それがどんな人でも、進んで受け入れるでしょう。でも喧嘩中なら「そんなん知らんわ」となります。(笑)
 これと同じように洗礼を受けた人は、聖霊の働きによってイエスさまに受け容れられ、イエスさまと一体の父にも受け容れられます。そして父と子と聖霊という「交わりとしての神」の命に入り祈り、愛するのです。
 父と子が一体だから、受け容れられた。この救いを讃えよう。



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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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