イエスさまのうちに見える神

2023/05/03

父、三位一体

 「わたしを見た者は父を見たのだ」ヨハネ福音書第14章9節

2023年5月7日復活節第5主日

三位一体のイコン、至聖女ドーム教会,カストリア, ギリシャ.

 「穴太衆」は400年続く石垣積みのプロ集団です。自然石を積んでいく「野づら積み」の石垣は非常に水はけがよく、地震に強い。この業は「石の声に聞いて」継承するそうです。今の15代目の棟梁は謙遜しつつ「石の声は聴こえんが、じいさんの声がする」と言いわれます。つまり「私を見た者は、私のじいさんを見た」となるでしょう。

 同じように「私を見た者は父を見たのだ」とイエスさまは言われました。つまり「私はただ自分の心の声に従って生きているのではない。私は『父の声』を聴いて、父と一緒に生きている。だから私を見ることは私の父を、創造主を、イスラエルの主である神を見ることだ」と。

 理解の鈍いフィリポ(と私たち読者)はつい、イエスさまを一人の人間「だけ」として見てそれで終わってしまいます。しかしこの100%の人間の内に神が100%現れているのです。

 貧しく生まれ、弟子をもうけ、民と連帯して共に洗礼を受け、神の愛による支配を語り、病気や障害を持つ人々を癒し、弟子たちを愛し抜いてその足を洗い、愛の戒めを残し、しかし皆に裏切られ、無実ながら人々の罪の罰を受けて殺された。この人の愛の生き様、これが「父なる神」の100%の現れです。神さまはどこか遠いところでイエスさまを見ていたのではない。この人と常に固く結ばれて十字架へ向かわれていました。

 これを確信させたのがイエスさまの復活です。復活から振り返れば、イエスさまの全ては神さまの言動だと知るのです。

 この神さまの愛を受けて今度は私たちが「イエスさまの声を聞き」「私を見た者はイエスさまを見たのだ」となるような祈りと愛を実践しましょう。


このブログを検索

そのほかのメッセージ

ラベル

復活 十字架 神の愛 聖餐式 信仰 祈り 聖霊 イエス 受肉 神の国 三位一体 癒し 赦し アッバ 悔い改め キリスト クリスマス 委ねる 恵み 救い 昇天 羊飼い 自分らしさ アブラハム ゲセマネ 兄弟姉妹 出エジプト 勝利 召命 変容 弱さ 悪霊 教会 洗礼者ヨハネ 神の子 解放 ぶどう園 インマヌエル ゲッセマネ 創造主 喜び 大祭司 奇跡 嫉妬 子ども 宣教 忍耐 悔い改め、荒れ野 悪魔 感謝 放蕩息子 洗礼 神の支配 自由 行い 過ぎ越し 陪餐 Being うつ かみのくに からし種 み名 み心 アダム イスラエル エリヤ ガリラヤ サマリア人 ザアカイ スキャンダル タラントン タリタクム パン裂き ピスティス ペテロ ペトロ マリア マルタ メシア ヤイロ ユダ ユーカリスト ラザロ 不安 不正な管理人 主の祈り 今ここに 仕える 伝道 信頼 偶像 共感 再創造 再臨 十戒 原罪 受容 受難 境界線 天国 奉仕 奉献 婚宴 安息 審き 希望 平安 幸せ 弟子 律法学者 従順 忠誠 憐れみ 懺悔 成就 戒め、山上の説教 承認欲求 招き 新しい創造 最後の晩餐 栄光 楽園 権威 歴史 毒麦の譬え 洗足式 清い 灰の水曜日 無力 父、三位一体 独り子 現存 生きる意味 病い 真理 礼拝 祝福 神の家 神の言葉 神殿 祭司 種蒔き 絶望 聖書 肉体 自己肯定 苦難の僕 裁き 見失った羊 覚悟 親密さ 観想 記憶 誓約 誘惑 誠実 譬え 財産 貧しい人 貧しい人、共有、復活 賜物 賢明さ 躓き 身代金 迫害 追放 重荷 障害 静けさ 食卓 飢え 養い

自己紹介

自分の写真
大津市, 滋賀県, Japan
聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

日本聖公会京都教区 大津聖マリア教会

Wikipedia

検索結果

コメント

名前

メール *

メッセージ *

Tags

QooQ