「ガリラヤへ行くように言いなさい。そこで私に会うことになる。」マタイ福音書第28章10節
2023年4月9 日 復活日 (A年)
The Women at the Sepulchre (The Angel at the Tomb of Christ) - Benjamin West |
人生には取り返しのつかないことがあります。相手がすでに亡くなっている場合はとくにそうです。「あんなことしなければよかった。もっとこうすればよかった。今はもう、遅い…」
自分たちの地元であるガリラヤで、弟子たちはイエスさまに出会い、寝食を共にし、共に旅をしました。しかしエルサレムの都では、弟子たちは先生を見捨て、先生は処刑されました。だからガリラヤでの思い出は「それにも関わらず恩師を見殺しにした」という自責の念によって、黒く染まってしまったのです。
そこに墓から帰ってきた女性たちが言います。「先生は復活して今も生きている!」「ガリラヤで会うことになると言われた!」
弟子たちは急いで地元に戻り、そこで復活したイエスさまに会いました。見殺しにしてしまった先生は、復活して今、目の前に生きおられる。裏切りは帳消しになり、罪は赦された。そしてガリラヤの思い出と自分の人生は再び、しかし全く新しく、輝き出し(28:3)、やり直しの人生が与えられたのです。「まだ遅くない!」
弟子たちはこのやり直しの人生を、今度は命懸けで、神の愛の実現に捧げていきました。それは武力による政治的な解放ではなく、苦しみをも厭わない愛による罪の赦しです。イエスさまの復活を信じることによる死の力からの解放、「出エジプト」です。
ガリラヤとは私たちの地元、日常生活、人間関係です。「ガリラヤ」は自分の住所です。「◯◯市〇〇町」。そこで私たちは復活のイエスさまに出会い、赦され、今度はイエスさまが世の終わりまで共にいる、全く新しい、やり直しの人生が与えられるのです。
イエスさまは今も生きていて、愛するあの人を命で包んでおられます。だから、まだ遅くない。命を信じて、愛を実現しよう。