「アブラムは、主に従って旅立った」 創世記第12章4節
2023年3月5日 大斎節第2主日(A年 )
「アブラハムのカナンへの旅立ち」ヤコポ・バッサーノ,1570年, カナダ国立美術館蔵 |
人は一人では信仰を続けられま せん。私は、できません。慰め合 い、励まし合い、愛し合う。神さま を共に礼拝し、共に養われ、共に 働く。そうして初めて私たちは神の 民、一つの教会、一つの会衆となり、信じ続けていけるのです。
この私たち、神の民の「父」はアブラ ハムです(ロマ 4:17)。彼は 75 歳 で信仰の決断を迫られました。「住 み慣れた故郷を捨て、今、旅立ち なさい。わたしはあなたを祝福し、 あなたを通して全人類を祝福す る」。ここでの祝福は、具体的には 子宝のことです。信じられない。不可能だ。現実を無視している。 しかし「アブラムは主の言葉に 従って旅立った。」(創 12:3-4)不 可能でも、全ての命の創り主である神さまを信じて旅立ちました。
この信頼に応えて神さまは子孫を与えました。イエスさまもその一員である「イスラエル」です。(現代イスラエルの軍事政権は祝福ではなく暴力の源になり下がりました。)真のイスラエルとは、イエスさま に結ばれ、それでも不可能を信じ て、共に旅立つ一つの民です。
「神は独り子を与えるほどに世を 愛してくださった。」(ヨハネ 3:16) そ れは私たちと共に、古い命の苦し みから旅立ち、復活の命の祝福へ と到着するためでした。そのため に神さまは一人の人間となり、アブ ラハムの子、イスラエルとなり、祝 福への旅を成就されました。
イエスさまことそ、真のアブラハ ムです。私たちの代表です。象徴 です。旅の導き手です。病気から 健康へ、死から命へ、悪から善へ、 罪の束縛から愛の自由へ、共に旅 立ってくださいます。
洗礼は旅立ちであり、 聖餐は旅を養う食事 であり、葬送は復活の 命への到着と安息で す。これらの礼拝は一 人ではできません。私 たちの信仰生活は孤 独な一人旅ではなく、 会衆が一団となって 行く祈りの巡礼です。 孤独ではなく一つの 会衆として、救われる のです。
私は休職中、教会から離れれ ば元気になるかと思いましたが、 その逆でした。礼拝から遠ざかれ ば遠ざかるほど祈れなくなり、復活 の命を信じられなくなりました。だ から勇気を出して参加した復活日、 洗礼堅信を祝う会衆には力があり ました。その中にイエスさまがいて くださいました。一人では決して知 ることのできない、共に旅する喜び を体験しました。
一人になって現実が突きつけら れる日も、新しい命など信じられな い夜も、イエスさまは呼びかけられ ます。「さぁ、一緒に旅立とう。一つ の会衆になって、不可能を超えて、 旅立とう。復活の命の祝福へ。」