「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」マタイ福音書4章10節
2023年3月5日 大斎節第1主日 (A年)
ワシーリー・スリコフ「キリストへの誘惑」1872年 |
人間を人間らしくする。自由にする。そのために子なる神さまは人間となり、悪魔の誘惑を受けられました。そして父なる神さまに従うことで悪の束縛を断ち、自由を開かれました。「完全な自由は主に仕えること。」(祈祷書、朝の礼拝)完全な自由は、好き勝手に環境を支配できる力ではなく、神さまへの従順によって得る、悪の束縛からの自由です。大斎節とは、イエスさまと一緒に父に従うことで、悪の束縛から自由へと向かう旅です。
ただし悪の誘惑はそうとは分からないもの。イエスさまへの誘惑は「世のすべての支配(王国)」でした(4:10)。これは実はイエスさまが欲しいものと似ていました。イエスさまはメシア、油注がれた王です。その目的は全地を支配することだからです。悪の力に従うか、神の愛に従うかでは大きな違いですが、「支配」という点では同じです。だからこそ強い誘惑だったのです。
喉から手が出るほど欲しい「支配」または管理。私たちにとってそれは何でしょうか。人間関係においては家族や職場や地域、または教会さえも自分の願い通りにできる「支配」。自分の人生においては、自分の人生を計画通りに運びたいという願いでしょう。良く言えば「管理」、悪く言えば「支配」です。
幸せへの願いは悪くないはずです。神さまは祈りを必ず聞いておられます。しかしいったん自分の願いに執着し、神さまへの祈りを忘れ、神さまに不従順になれば、私たちは自分の欲に束縛され、心は死んでしまいます。悪魔は自分の中に住んでいます。それは支配欲です。執着です。悪と罪と死の束縛です。アダムとイブが堕ちた、自分を神と思わせる罠です。
しかし神さまは人間を自由にしたい。そのために人となられた神、イエスさまは、人間の支配欲と執着と一緒に十字架につけられ、死なれました。自分と共に支配欲を十字架で消滅させました。人間を支配欲の束縛から解き放たれました。そして復活して私たちをご自分に結びつけてくださいます。そして一緒に なって父に従順になることで、悪い束縛からの自由に与らせて下さいます。その極みは復活です。死の力からの自由です。
聖霊によってイエスさまに結ばれ、父に従い、父を礼拝し、父に支配されて、父の愛を実践する。これが最も人間らしい人間、自由な人生、自分らしい自分、そして本当の礼拝生活です。
「自分でどうにかしようとしなくていい。わたしに任せなさい。あなたを自由にするのは、わたしだ。」