「栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられますように」
(大斎節前主日特祷) 2023年2月19日大斎節前主日
「主の変容」モザイク, シナイ山,聖カタリナ修道院の祭壇後背(apse)、550-560年. |
マタイ福音書第17章はイエスさまが山の上で光に変わった「主の変容」の箇所です。特祷はこう祈ります。「栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられますように」。
それはない、と私たちは思います。「人はそんなに簡単に変わらない…まして栄光から栄光へとイエスさまと同じ姿になんて…」。
しかし「人は変わる、神さまが変えてくださる」と信じる「変容信仰」は私たちの希望です。
「復活信仰」は信じます。イエスさまは復活して今も生きているから、死を前にしても絶望しない、と。また、「受肉信仰」は信じます。神さまが人となって私たちの間に宿られたから、この世の人間関係にも神さまは宿っていてくださると。
そして「変容信仰」は信じます。人となった神、イエスさまは人の姿から光の姿に変わった。だから同じようにイエスさまを信じて結ばれる人も、必ず神さまが光に変えてくださると。「自分はどうせ変わらない」と諦めなくてよいのです。神さまは私たちを愛しておられます。だから、今はどんなに暗くとも私たちを必ず光に変えてくださいます。私たちの内に働き、私たちを慰め、私たちを変えて新しい命で輝かす。これが聖霊なる神さまです。
しかも私たちは、自分の限界を超えて、終わりなく限りなく「栄光から栄光へ」と変えられていきます。神さまの愛が無限であるから、私たちの変容も限りなく続きます。それが「永遠」の命です。
しかし変容の道は苦しみの道です。ペトロが願ったように、山に留まっていては何も変わりません。イエスさまは私たちの命を輝かせるために山を降られました。人生の坂を降られました。命を降られました。私たちの闇に降られました。罪人として死ぬ十字架の闇にまで降られました。そして人の闇を自らの命で照らし、消し去られました。
そして死の闇から復活して起き上がったのち、聖霊は私たちをイエスさまの復活の姿に変え始められました。そして今朝も、パンと葡萄酒を変容させる聖餐式で、私たちを変え続けてくださっています。
聖餐の主の前で自分を、兄弟姉妹を振り返ってみましょう。暗く否定的な眼鏡を捨て、神さまの透明な眼鏡で見てみましょう。どこかが変りませんでしたか。闇から光に変わりませんでしたか。そこに働いたのが聖霊なる神さまです。