「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」マタイ福音書5章44節
ヤン・ヘンリク・デ・ローゼン作. アルメニア大聖堂、リビウ |
私は司祭だ、と言うのが恥ずかしくなるくらい、私には愛することのできない敵がいます。それも「そんな小さなことで」というようなことが原因です。
どれだけイエスさまに命じられても、その人を思えば愛や祈りどころか、悪口や恨みしか出てきません。どれだけ頭で愛を唱えても、心はついてきません。そんなとき、イエスさまは厳しい裁判官に思えてきます。
しかしイエスさまは、理想主義的で実行不可能な道徳を教えられたのではありません。ご自分の生きる道を示されたのです。不可能な愛を、まず自分が実行する決意です。人間という敵を愛する神の道です。
イエスさまは暴力と憎しみを、非暴力と愛で受け止められました。兵士が右頬を打てば左頬を差し出し、下着を取れば上着を与え、十字架を担いで道を行き、自分を迫害する者のために祈られました。(ルカ23:34)そして命を奪う人間に惜しみなく自らの命を与えたのです。
私たちは、敵を愛する以前に、神さまの敵です。神さまに愛された敵です。イエスさまのうちに神さまは、人間の悪に復讐せず、それを受け取ったままにされました。そしてご自分が傷つくことで、私たちを悪の応酬と罪の束縛から解放されました。
この愛によってイエスさまは「天の父のような完全な者」となりました。(5:49)そして復活して私たちをも完全な者に変えていかれます。それは悪の応酬から解放され、敵を愛し敵のために祈る、全く新しい次元の生き方、愛の人生です。