二人はすぐに網を捨てて従った。(マタイ福音書第4章20節)
2023年1月22日 顕現節第3主日 (A年)
4人兄弟が集まった正月に「キーパーソン」が話題になりました。親の治療方針について誰が意見をまとめて最終決定をするかです。私は一瞬、不安を覚えました。意見が対立したとき自分は兄弟に決定権を委ねられるか、と。私は自分の支配欲と謙虚さの欠如を感じました。従うとは相手に決定権を譲ることです。
ペテロは「人間の漁師って魅力的だ。それに魚をとるより簡単そうだ。よし、それになろう」と考えて、自分の人生を決定したのでしょうか。
しかし相手はナザレのぽっと出の自称預言者。目的も手段も謎。養ってもらえるのかも分かりません。私なら「慣れた自分の仕事で結構。勝手に俺の人生を決めるな」と言うでしょう。しかし彼らは「すぐに従った」。なぜか。
それは「天の国は近づいた」ことを信じたからです。天の国の生き方は自分で決められません。神さまが決めます。自分で人間の漁師に「なろう」と決めるのではなく、神さまが漁師に「する」と決定したのです。彼らはその決定を認めたから従いました。支配欲を捨てて謙虚に、人生の決定権を神さまに委ねたのです。
彼らが従ったイエスさまもまた、父に決定権を譲りました。「私の願いではなく御心のままに」(26:39)。その決定とは、死んで神の赦しを人々に与え、復活して神の命に生かすこと。そして、悩みつつ、この決定を実行されたのです。
私たちの人生の決定権は神さまにあります。それを認めましょう。支配欲を捨て、謙虚さを求めて、委ねましょう。そして神の決定された、赦しと命の幸せに与かりましょう。