「あなたがたは地の塩である…世の光である。」
マタイ福音書第5章13,14節
2023年1月29日 顕現節第5主日(A年)
この有名な箇所の第一印象は「しんどいな」です。自分の心は味気なく、暗く、神さまの働きも微々たるものだからです。
しかしよく読めば、あなたがたは塩や光に「なれ」ではなく、あなたがたは地の塩・世の光「である」とあります。
これを聞いたガリラヤの漁師たちはどれほど喜んだことでしょうか。無学で無能で貧しい自分(1コリ1:26)。そんな自分が全地に神さまの味をつける塩であり、世界に神さまを輝かす光だと言われたのです。しかも何か善い行い、愛の行いを実践する前に、こう祝福されたのです。
新しいモーセとして、イエスさまは神の山から律法を完成させる新しい愛の律法を教えられました。「山上の説教」です。その新しさは喜びです。喜びに基づく愛です。
神さまに愛される喜びがあれば誰の評価も要りません。行いの結果に自分の価値がかかることもありません。なにも恐れることなく、心から自分を人に与えることができます。愛せます。「人にしてもらいたいと思うことは何でも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」(7:12)。自分の価値が神さまの喜びにあるのなら、自分中心の押し付けの愛ではなく、相手が中心で、相手が喜ぶ愛を行えます。
喜びから自らを与える生き方。この完成形がイエスさまご自身です。まことの人間となって私たちの間に宿られた神さまです。この人の内に、人間の本当の姿が現れました。まことの「地の塩・世の光」です。それは自分を与えてその愛で全地を味付けし、世界に神さまの愛を輝かす生き方です。十字架のイエスさまです。
このまことの地の塩、世の光であるお方は、復活して今、私たちの心の中にいます。そして喜びから自分を与える愛の実行力を与えておられます。これをしっかり受け取ってイエスさまの真似をするなら、イエスさまのなかで、私たちは本当の人間になり、本当の自分になり、自分の喜びは成就し、完成します。
漁師らは、十字架のイエスさまを見て、地の塩・世の光として生きる本当の意味を悟りました。喜んで自分を与える愛です。毎週主日にパンを割くごとにこの自分を与える愛を実感していきました。そして自分たちも、喜んで自分を与えていきました。福音を語り、弱い人を愛し、殉教にいたるまで自分を与えていきました。こうして地の塩・世の光である喜びが少しずつ広まり、完成し、教会が私たちに至るまで続いてきたのです。
神さまは今も私たちに呼びかけておられます。「あなたがたは、わたしの地の塩・世の光なんだ。」この喜びを生きる力の源にして、自分を与える愛の人生を選びましょう。ご自分をお与えになる神さまの愛を伝えましょう。全地を神さまの愛で味つけましょう。世界を神さまの愛で照らしましょう。そして復活して今も生きておられるイエスさまの中で、喜びの人生を完成させていただきましょう。
「あなたがたは、わたしの地の塩・世の光だ」。