Puvis de Chavannes, Pierre-Cécile - The Beheading of St John the Baptist - c. 1869. |
「なんで自分だけ癒されないのか。」闘病生活をしていると、他人に働いた神の癒しを妬んでしまうことがあります。
そしてイエスさまに問います。「あなたは私を救ってくれるメシア、王なのですか」と。
洗礼者ヨハネはヘロデ王の奪略婚を批判して投獄されていました。そして「イエスさまは自分を釈放してくれる王、メシアなのかもしれない」と期待しました。そこで弟子を送って尋ねたのです。「あなたはヘロデを倒して自分を釈放してくれる王なのですか」と。
応えてイエスさまは言われました。「ヨハネに伝えよ。体の不自由な人は癒され、死者は復活し、貧しい人には福音が宣言されている、と。」
これを聞いたヨハネはどう思ったでしょう。一方で彼にとってのこの世的な現実は「他人は救われているのに自分は救われない」です。実際ヨハネは釈放されず殺されます。しかし他方でイエスさまが他人を癒していることは、ただの偶発的な出来事なのではない。神の国、神の支配が到来したことのサインだ。ヨハネは、自分は釈放されないけれど他の人を救った神の愛を聞きます。そして素直にそれを信じたのだと思います。
自分は救われていないけれど他人が救われたとき、それを「神の国が到来した」と信じて迎え入れたいと思います。自分ではなく他人に対してでも、神さまの愛を垣間見られたのなら、それ自体が自分の救いだからです。
イエスさまは問いかけられます。「自分の救いだけを求めてわたしにつまずくか、他人の救いを喜んで救われるか。あなたはどっちだ」と。