Donatello, madonna pazzi, 1425-30 ca
王とは人を力と脅しによって従わせる支配者です。イエスさまの時代、ローマの皇帝アウグストゥスは自らを「神の子」を名乗りました。王を超えて神となったのです。
この皇帝が課税のために行った人口登録の結果、イエスさまはダビデ王の街に生まれました。同じ世界の片隅で、真の王、神の子が生まれ、神と悪との戦いが始まりました。
当時、ユダヤの民が期待したのはローマ帝国からの独立を勝ち取る王、メシアです。
しかし独立を勝ち取るはずの新しい王は・・・赤ちゃんでした。弱く、貧しく、居場所なく、飼い葉桶に布で包まれた赤ちゃん。この弱い存在が神さまの姿だというのです。
マリアが布で包んだ赤ちゃんの肌を黙想しましょう。ほっぺた、唇、腕やお尻。水風船のように命そのものが薄い肌の内側に存在しています。その肌に触れると神さまに触れているようです。「この存在はどんな暴力からも守られなければならない」と思います。愛が湧いてきます。赤ちゃんは弱いけれど強い存在で、人を愛によって支配します。
神さまは赤ちゃんのように私たちを治める王です。力と脅しではなく、ご自分の命そのものを裸で弱い姿のまま私たちにさらし、触れさせ、与えます。「あなたにわたしを与えたい」という純粋な愛です。
その愛は十字架でのお姿、そして復活後のお体と重なります。そこではマリアは直接、神の命を受け取るのです。