悔い改めた犯罪人「ディスマス」ベルシーのキリスト降誕の聖母教会 |
み国とは、死後に行って帰ってこない遠い「天国」ではありません。御国が来ますように、と祈る地上に来る神さまの「王としての支配」です。「イエスよ、あなたが王となられるとき…」という意味です。
「支配」には悪いメージがあります。プーチンも金正恩も悪い支配者です。しかし神さまの支配は善い支配です。慈しみと正義、赦しと愛で「治める」ことです。悪の力との戦いを統治し、人を治め、守ります。
私は、コントロールできない執着やエゴに囚われているとき「どうかこんな自分を治めてください。御心のとおりに私を支配してください」と願います。
イエスさまと一緒に死刑にされた犯罪人はこんな気持ちだったのでしょうか。この人は罪を認めています。そして知っています。「隣のお方は無実だ。なのに死刑にされようてしている。ということは他人の罪、私たちの罪のために死んで私たちを救う、神の王なる救い主だ」と。
そして願います。「あなたが王になって治められるとき、私を思い出してください。犯罪人でいい。私を支配してください。私の罪を審き、私に御心を行なってください。忘れ去られるより、すべてを委ねて支配してくださる方が幸せです」と。
するとイエスさまは驚くべき幸せを告げます。「あなたは今日、わたしと一緒に楽園にいる。」「死後の遠い未来ではなく、今日ここで、死刑の苦しみの只中でわたしは一緒にいる。わたしはあなたを完全に治めている。支配している。だからできるのだ。わたしはあなたを赦す」と。神の支配に委ねたからこそ赦されたのです。
「楽園」とは罪と悪を神さまが完全に治めた世界。神さまが支配する赦しの世界です。死ぬ前に入ることのできる、神さまが治めて守る、エデンの中庭です。
私たちも、死ぬときには神さまに治めてもらう幸せを願い、祈り歌いましょう。♪イエスよ、みくにに…♪