普通、心が内向くと何も良いことはない。自分の過ち、弱さ、不安...。否定的な思いに囚われて抜け出せない。
しかしこの癒やされた皮膚病の人が内向くと、そこに見えるのは神さまの働きだ。癒し主への賛美と感謝だ。「自分が癒やされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻ってきた」(ルカ17:15)。この人はなんと幸せな人か。
比べて他の9人は病気が癒やされた途端、神さまとの関係を終えた。「これ幸い」「喉元過ぎれば」と日常生活へ出ていき、神から離れた。
ただこの1人だけは病気の癒しを通して神さまを深く知る。イエスさまのうちに働く神に感謝し、神を信じ、神に結ばれた。だからイエスさまは最後に言われた。「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」(17:19)。他の9人は癒やされたが、救われてはいない。
違いは神の国が来たと信じるかどうか。自分の癒しは個人的な出来事だけではなく、神の国と復活の命が始まったしるしだ、と。病気と癒しは神の「み栄えを表す」ためだ(祈祷書「病人のため」)
もちろん癒されない日々には感謝などできない。でも、だからこそ復活を信じよう。復活とは完全な癒し。イエスさまは癒しも感謝もなく、苦しみ悶えて死なれた。しかし復活を信じておられた。だから復活した後は感謝された。だから聖餐式の感謝の祈りの中で現れ続けられている。
どんな時か形かは想像を超える。しかし私たちの心と体と魂は必ず癒やされる。復活の命は必ず私たちの病と死に勝つ。これを信じよう。
毎晩「内向きの感謝」を数えよう。その日の小さな恵み、癒しを数えよう。癒やされない日は、復活の癒しを待ち望もう。そして一晩ずつ変えていただこう。感謝の人に。