あとまわし 「自分の命であろうともこれを憎まないなら」 (ルカ14:26、特定18)

2022/09/04

アッバ キリスト 委ねる 覚悟 自己肯定


自分憎むこれは低い自己肯定感しかし自己肯定感が低いと、ありのままの自分を「良し」として受け容れられない。人に良く思われようとしてストレスになる。そして神さまに愛された自分を忘れてしまう。そんなことをイエスさまが命じるわけはない。

ここでの「憎む」は他人と見比べて「自己肯定感を低くせよ」ことではない。「あとまわしにする」ことだ。イエスさまだけを見て、人や家族や自分より神を優先させる覚悟のことだ。 
直前の「妻がいるからと神の宴会を断る」人や、直後の「塔の建設費用の計算」や「戦争に入る兵力の計算」の譬えもあとまわしにする覚悟を要求する。

ただし「あとまわし」なのだから忘れ去ってしまうのではない。ことが終われば、人や家族や自分を、新しく救われた形で再び得る。「命を失う者はそれを救うのである。」(9:24)

だから「あとまわし」にするとは「主に委ねる」ことだ。愛なる神は必ず人と家族と自分を救い、新しくして下さる。そう信じるからこそ覚悟できる。

それでも覚悟しきれないときは深く悟ろう。ご自分を「あとまわし」にして命を与えられたイエスさまが、まず覚悟されたと。そして今も私たちの中で、私たちに代わり、私たちのために覚悟して下さっていると。  

「一緒に覚悟をしよう。家族も自分もあとまわしにして。そうすれば私を復活させた父が全てを救って新しくして下さる。そしてあなたは自分を全肯定できるようになるから。」

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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