「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」ヨハネ 16:12-15
イエスさまは裏切られて殺される前の晩「真理の霊」を送ると弟子たちに教えた。そして実際に復活した後、ご自分の心「真理の聖霊」を、フーッと、弟子たちの心に吹き入れられた。
「真理とは何か」こう言ったのはイエスさまを尋問した総督ピラト。(18:31)この人は一体誰なのか、ローマ帝国に逆らう「王」なのか。イエスさまは「私は真理を証しする」つまり真理を表す者、と言い、理解できないピラトがそう呟いた。これは私たちの問いでもある。
人生の旅の途上で「真理、本当の自分、本当の信仰」が分からなくなる日に襲われることがある。病気の日々、自分や家族の死に直面する日、理不尽な扱いを受けた日、侵略戦争に巻き込まれて生活と命が破壊されていく日々、教会の将来が見えないとき.......
私は今回の休職で「本当の自分」が分からなくなった。鬱は恐ろしい病。それまで大好きだったことが嫌いになる。礼拝、聖書、教会、イエスさま、神さま.......「一度キリスト教から離れてしまえば本当の自分が見えるかも」とも思った。しかし一人になるほど自分が分からなくなり、神も遠くなり、信仰も自信もなく空っぽになった。真理から遠く離れてしまった。
そんな私を「本当の自分」という真理に導いてくれつつあるのが礼拝で働く聖霊。礼拝は感謝と讃美に満ちているから行うものではない。逆に聖餐式に参加するからこそイエスさまが心の中心に触れてくださり、感謝と讃美に満ちる本当の自分を復活させてくださる。
ではその「真理」の内容とは何か。イエスさまは言われた。「私は道であり、真理であり、命である。」(14: 6) 真理とは「3が1で、1が3」という抽象的な頭の体操ではない。イエスさまというお方、人格そのもの。イエスさまの十字架と復活のうちに、私たちを友と呼んで命を与えてくだる神ご自身。そしてイエスさまのうちに神に愛されている本当の自分。
復活して今日も聖餐で現れるイエスさまが語りかけられる。「私の心、真理の霊が悟らせる。私が命を与えて愛した「あなたの本当の自分」を。だからどんなに自分が分からなくてもいい、心が暗くてもいい、空っぽでもいい、私の食卓に来なさい。父と子と聖霊なる私の交わりに入り悟りなさい。本当のあなたは、私が愛し抜いた、かけがえのない存在なんだ。」
「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」