わたし、バルテマイは病気で視力を失い、仕事も家族も居場所も失った。「罪の罰を受けた」とされ、街の外で乞食をしていた。何も見えず、広げた上着に小銭を投げてもらう生活。だが私はあきらめていなかった。幸せを。
だから「ナザレのイエス」「癒し人」「ダビデの子」「メシア、油注がれた王」と噂に聞いたその人と会うその日を待ち望んでいた。そしてエルサレムへ向かう一行の足音を聞き「今しかない、この人しかいない」と直感した。そして叫んだ。「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください!」。
健常者らは私を黙らせようとした。「黙れ、お前には用はない」。だがこのお方が通り過ぎていけば私には救いがない。私はますます大きく叫んだ「私を憐れんでください!」。
すると立ち止まったあの方の「あの人を呼べ」という声。群衆は掌を返したかのように「安心しろ、立て、お呼びだ」と。イエスさまが私を呼んでくださった。その喜びに躍り上がり、乞食の商売道具の上着など捨てて、立ち上がって行った。「何をしてほしいのか」と尋ねられ、何の建前もない素直な願い。「先生、また見えるようになりたい。」
そしてあの嬉しい言葉。「行きなさい、あなたの信仰があなたを救った。今までよくあきらめずに叫び続けた。それを私は聴いた。あなたの希望は報われた。」その言葉を聞くや否や、目が開き、イエスさまの澄んだ目を見た。
そのまま私は十字架の道を行くイエスさまの後を追いかけてクリスチャンとなった。イエスさまは必ず聞いておられる。だから一緒に叫ぼう。「わたしを憐れんでください」と。