自分のことを何でも話す私に、ある牧師は忠告してくれた。「きちんと自分を守りなさい。自分の弱点を誰にでも喋るもんじゃない。時には悪く使う人もいるのだから」と。
聖書時代の世界観は「戦い」だ。実際に信仰者はローマ兵に逮捕され殺された時代だ。現代の教会は「戦い」の表現を嫌うが、人間は悪との戦いに生きている。ミャンマーや北朝鮮には明白な悪との戦いがある。社会的にも暴力、虐待、貧困、差別との戦いがある。個人的にも病気、老い、絶望、孤独、憎しみに対抗する戦いがある。全てのレベルで働く悪の力に対抗して、神は戦う存在だ。
聖書の初めから人間は悪と接し「そそのかされて」負けてきた。そのために神はアブラハムとその子孫を用いて人間を悪から助け出すと約束された。その約束は真のイスラエルであるイエスさまが果たされた。すべての悪をその身に受けて死に、しかし復活することでその力を打ち負かした。私たちはその大きな戦いの残りを戦っている。
私たち自身は無力だ。自分を守ることさえできない。だからこそ神は武具を与える。表紙絵のローマ軍の「テストゥド (亀型)」の隊列のように、仲間同士がきっちりと隊列を組んで盾で前と横と上を守るのだ。「きちんと自分を守りなさい」と。それは真理の帯、正義の胸当て、平和の福音の履き物、信仰の盾、救いの兜、そして霊の剣だ(6:14-17)。ローマの兵士の様に「神の武具」を身につけよと(6:10)。
十字架と復活で、既にすべての悪に打ち勝たれた主イエスさまが語りかける。「自覚しなさい。人生は戦いだ。だからこそ悪に打ち勝ち復活した私の武具を身につけて、きちんと自分たちを守りなさい。そして悪と死の力に勝ったわたしの愛を、深い深いあなたたちへの愛を、この世で「大胆に示しなさい(6:19)」。
「ローマ軍のテストゥド (亀型) の隊列」ヴェンツェスラウス・ホラー(1607-1677).