「シミ消しクリーム」の広告を見るたびに妻に「これ買おうか」と申し出るが「そんな高いのええわ」と優しくふところ具合をみてとって断られる。ほんとは消してあげたい。
では心のシミやしわはどうか。気にしているだろうか。消したいと願っているか。
パウロは男尊女卑の時代の人間だから結婚生活ではこう教えた。「妻は夫に従え、夫は妻を愛せ」。(5:22,25)。現代の私たちが読むときは単純に「夫と妻」を公平に交互に入れ替えればよい。「互いに従いなさい」と。(5 :21)
大切なのは結婚とは、キリストと私たちとの「婚姻関係」を表す「秘儀」だという点だ(5:32)。夫婦が愛し合えば、神なるキリストと私たちの絆、契約、「結婚」が現れる。互いが「片割れ」であるように、キリストは私たちと強く結ばれてくださった。「キリストが教会を愛し、教会のためにご自分お与えになった」(5:25)。人の結婚は神の愛の徴だ。
キリストの愛は願う。「清めて」あげたい(5:27)。神の民は神を礼拝し、神を愛して仕えるための存在だ。だが神以外の、自分自身をも含めた偶像を愛して仕えてしまい、罪と死のとりこになってしまった。罪と死こそ「心のシミとしわ」だ。これを清めるため、神は十字架で命の血を流された。それによって「しみやしわのない、栄光に輝く」花嫁として、私たちを「自分の前に立たせてくださる」(5:27)。
過去の過ちは消せない。しかし心の今のシミとしわは消される。十字架のイエスさまの赦しの血が消してくださる。聖餐のイエスさまが「消してあげたい」と願うのだ。これ信じよう。そしてシミのない心で、神を賛美し、愛し合おう。